新幹線「利用者数最少駅」は、なぜできたのか 岐阜羽島駅は本当に「政治駅」?

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東海道新幹線は、清洲付近で在来線と別れ岐阜羽島を目指す(筆者撮影)

名古屋駅を発車し、キリンビール名古屋工場の横を通過した新幹線は、在来線と別れて岐阜羽島を目指す。やがて右手から名神高速道路がするするっと近づき、並んで木曽川を渡る。渡り終えると岐阜羽島駅に到着だ。岐阜羽島を発車すると、右手から県道18号線が近づき、また並んで長良川を渡る。

この辺りは濃尾平野の北部にあたり、特に険しい地形などはない。木曽川、長良川の橋梁も何気ない車窓風景だが、ここにも東海道新幹線建設の苦労が隠されている。

五輪前の開業へ、鈴鹿越えを断念

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名古屋から大阪まで、新幹線がどんなルートを取るかは、戦前の弾丸列車構想の時代から議論されてきた。最短ルートは名古屋から西へ進み、鈴鹿山脈を越えて草津付近に出るコースだったが、鈴鹿山脈を越えるには12キロメートルの長大トンネルを掘らなければならず、しかも地下水が多いことから極めて難工事となることが予想された。1964(昭和39)年の東京オリンピックまでの開業にはとても間に合いそうになく、このルートは断念された。

代わって注目されたのが、関ケ原を越えるルートだ。名阪間には、鈴鹿山脈と伊吹山地という2つの険しい山が立ちはだかっている。関ケ原は、2つの山脈の間にたった1カ所開いた谷だった。鈴鹿山脈越えよりも10キロメートル以上距離が長くなるが、工期と確実性が優先された。

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