岐阜羽島駅に到着した列車の車内やホームから駅の周囲を眺めると、低い位置に、やたらと大きな看板が目につく。健康食品に海洋深層水、そして駅前のカフェ。どこも、高さ3mはあろうかという巨大な看板を掲げている。文字も巨大だ。
駅を利用する人に向けた看板なら、これほど大きな看板は必要ない。これは、東海道新幹線の乗客に向けた看板と言える。岐阜羽島駅は、1日の平均乗車人数が2800人(2014年羽島市統計、乗車のみ)と、17ある東海道新幹線の駅の中でもっとも利用者が少なく、在来線との接続も名鉄羽島線があるだけだ。そのため、駅の利用者よりも、駅の通過者にアピールしているのである。
現在でもこれだけのどかな岐阜羽島駅。昭和30年代に駅の設置が決まった時は、「政治駅」であるとして批判された。
「羽島に新駅を」提言の理由
東海道新幹線が関ケ原を経由することになった際、岐阜県の政財界は岐阜市内の経由を強く要望した。国鉄は、名古屋駅が2面4線しか確保できなかったため、関ケ原でトラブルが発生した際の中継基地となる駅を岐阜県内に設置する方針だったが、岐阜市内を経由することには終始否定的だった。地図を見てもわかるように、岐阜駅を経由すれば、新幹線はさらに大きく迂回することになり、建設費も高騰するからだ。
そこで、国鉄は自民党の実力者である大野伴睦(ばんぼく)に仲介を依頼。大野は岐阜県の実力者を集めて意見をすりあわせ、羽島市内への新駅設置を提言したのである。この調整がマスコミに誤解され、「政治駅」と批判を浴びることになった。
こうして開業した岐阜羽島駅だが、東海道新幹線が関ケ原の雪に思いのほか弱いことが明らかになると、その存在意義を強めた。現在は、渋滞が少なく名神高速道路の岐阜羽島ICも近いことから、高山・信州方面へのツアーの中継点としても機能している。
岐阜羽島駅前には、岐阜羽島駅設置に尽力した人物として、大野伴睦夫妻の銅像が立っている。大野が岐阜羽島駅を指さし、夫人に語りかけている銅像だ。右手に火の付いたタバコを持っているところが、時代を感じさせる。
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