それでも、なるべく距離は短くしたい。当初は名古屋から濃尾平野を北西へほぼ一直線に進み、関ケ原の南側の谷を通って米原に抜けるルート(A案)が検討されたが、すぐに問題点が指摘された。「名神高速道路と何度も交差するので工事に無駄が多い」というのだ。
では、名古屋から在来線の垂井駅付近まで直行し、在来線とともに関ケ原を越えるルート(B案)はどうだろうか。これなら、名神高速との交差は1カ所で済む。すると今度は「名古屋北部の用地買収が大変だし、庄内川と長良川を渡る橋が斜めになって距離が長くなり、お金がかかる」という問題が浮上した。
それなら、名古屋から稲沢駅付近まで在来線と並走し、そこから垂井駅付近までまっすぐ進むルート(C案)はどうか。この案なら名古屋市内は在来線用地を活用できるし、庄内川や長良川もほぼ直角に渡れる。
だが、この案にも「稲沢にルートと重なる工場があるうえ、揖斐川を渡る橋が斜めになる」というネックがあった。
名神高速と鉄橋が並んでいるワケ
結局、関ケ原までの直線ルートは諦め、清洲付近まで在来線と並走して用地買収の手間を節約し、そこから各河川をなるべく直角に渡るようにルートを調整することになった。
さらに、木曽川は当時建設中の名神高速道路、長良川は県道18号線の道路橋と接近させて工事や河川管理をやりやすくし、その先の大垣市内は、軟弱な地盤を可能な限り避けて関ケ原につないだ。そうして完成したのが、現在の新幹線のルートだ。
「道路橋と隣り合って川を渡っている」という車窓ひとつをとっても、これだけの苦労が隠されている。
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