日本は芸術の「社会的役割」を理解していない 橫尾忠則氏「芸術作品は社会的発言をする」

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──感性から知性へ、文章家としても著名です。

文章は書こうと思って書いたことは一度もない。いずれも頼まれて書いた。最初に書いた文章は、絵で何か賞を取りその受賞の言葉を頼まれたものだ。そうこうしているうちにエッセー的なものを頼まれ、絵を描いている合間に息抜きにやってみてもいいかなと、だんだん増えていった。職業は絵を描くことで、そんなに真剣にはやってない。

──小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞を受賞しました。

これも頼まれたからだ。普段小説を読まない人間で、『怪人二十面相』ぐらいしか読んでいなかった。エッセーを担当していた編集者が文芸誌に移り、小説を書いてもらいたいとあまりに真剣に言うので、原稿用紙30枚分をアトリエで昼前から夕方までに一気に書いた。黙っているとうるさいから瀬戸内寂聴さんに見せたら、「これ面白いわ。あと3編書いて単行本にしなさい。その本の帯は私が書く」と言われて。

──エッセー集で講談社エッセイ賞も受賞しています。

文章家をある意味批判している内容なのに。

──ますます「芸域」を広げていかれる……。

そういう意識はない。「やったことがないことはやってみようかな」が、いわば動機。

幼児性を持っているか

──いつも幼児性が大切とも。

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子供の頃を思い出すとよくわかる。子供は目的を持っていない、結果を考えない。遊ぶにしても、遊んでいること自体が面白い。で、夢中になる。大人は大義名分に縛られて、その幼児性をどんどん失っていく。大人と子供の違いは幼児性を持っているかいないかだからだ。わがままと思われても自分に対して忠実にやっているから、悩みは少ない。

──日本には感性を培う土壌がないのですか。

芸術家の側からいえば、オリンピックぐらいの規模の芸術の祭典をやってもらいたい。選挙で芸術を唱えれば票が入らないし頭がおかしいと思われる。だが、そこが大事だ。芸術文化が土台にあってその上に経済があり政治があり教育や科学がある、みたいな構造でなければいけない。今は逆ピラミッド。人間の肉体を保障するために経済は必要とはいえ、それだけでは人間は生きていけない。もっと精神のゆとりが必要なのだ。精神の刺激には芸術がいちばんいいが、芸術はメディアの中でいちばん虐待されている。

塚田 紀史 東洋経済 記者

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つかだ のりふみ / Norifumi Tsukada

電気機器、金属製品などの業界を担当

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