日本は芸術の「社会的役割」を理解していない 橫尾忠則氏「芸術作品は社会的発言をする」

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──社会を意識してはいない?

プロパガンダ的なことは絵の中にいっさい入れない。だが、見る人によって絵自体が作家から自立して何らかの発言をしているかもしれない。同じ絵を見ても、人によってとらえ方は違う。それでいい。僕は個人的に妥協しないで生きていく。そのプロセスで絵ができる。それで十分。

つまり意識しなくても、作品は社会的発言をするものなのだ。ポール・セザンヌがよくリンゴの絵を描き、パブロ・ピカソがしばしば裸の女性を描いているが、その絵が世界の歴史を変えたり、個人の意識革命にかかわったりしている。たった一個のリンゴや一人の女性を描いた芸術がそれなりの役割を果たす。

日本では見える部分ばかり評価する

橫尾 忠則(よこお ただのり)/1936年生まれ。72年にニューヨーク近代美術館で個展。以降、個展開催、ビエンナーレ出品など国内外で高い評価を得ている。2012年神戸に横尾忠則現代美術館、2013年香川県に豊島横尾館を開館。毎日芸術賞、日本文化デザイン大賞、朝日賞、世界文化賞、泉鏡花文学賞、講談社エッセイ賞など受賞(撮影:梅谷秀司)

──ピカソやマルセル・デュシャンを高評価されていますね。

ピカソを例に取れば、わがままの代表選手だ。好き勝手で自分に正直。この女性を捨てたらかわいそうとか、捨てたらどうなるのだろうとか考えていない。自分のことしか考えず、その結果、表現が自由になり見る人に感動を与えてきた。ピカソそっくりにはできないが、アートを手掛ける以上は方向性としてそうしたい。

僕は、将来絵描きになろうと思っていなかったから、立ち遅れた。だが、自我の成長が遅れていたのはよかったのかもしれない。今の日本では、芸術は大きな問題を語っていると見ない人が多い。海外のほうが芸術の社会的役割は認識されている。日本では見える部分ばかり評価して、社会や人々にジワッと影響を与えるような見えない部分は評価しないし、感応しない。

──見えない部分?

たとえば、日本ではアニメが社会的な評価を得ている。アニメは見えるものがすべてとして、言葉としても語らせている。だが、絵はそこまでやらない。むしろ言葉にならないもの、語れないものを描いている。アニメを批判しているのではないが、アニメは直接、社会的な機能を持つ。絵の場合は、それはない。それが見えない部分。アニメやテレビは娯楽が主体であり、芸術は娯楽の部分もあるが、それが主体ではない。

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