心が強い人は「孤独は妄想」と知っている 簡単な練習で、「独り=至福の時間」になる

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○孤独こそが“人生の基本”と知る

目をつむったとき、外の世界は見えなくなりますね。仕事も家庭も、社会の動きも、「お付き合いすべき相手」も、その瞬間は、いなくなります。

実は、その「何も見えない(存在しない)」状態こそが、心の基本です。人は、得てして「外の関係」――世間の付き合い・つながり――ばかりに心を奪われがち。しかし、実は「心」――外の世界(関係)とは、別の領域――が、最初に存在するのです。

ひとりでいる自分の心が、基本。

つながり・関わりは、「心」の次にくる“さずかりもの”ということです。

【孤独病からの抜け方②――他人の動向を追いかけない】

「ひとりでいる自分の心」が基本だとすると、周りの人たちの言動や、世間のうわさ話やニュースなど、外の世界・他人の動向は、「おまけ」の部分です。

「おまけ」の部分は、追いかける必要のない「他人事(ひとごと)」であることが多いものです。知ったところで、「へぇ、そうなんだ」「だから何なんだ?」という話がけっこうあります。

「だから何なんだ?」というオマケの部分に振り回されているのは、もったいない話です。

そこで、「基本」と「おまけ」に分けるという発想に立ちましょう。他人の動向は、「自分に必要な情報か、それとも“おまけ”でしかないのか?」と考えてみるのです。

おまけの部分は、時間が空いたとき、ちょっとリラックスしたいときに“時間を決めて”お付き合いする程度のもの。「なくても平気」でいられる自分を、心がけていきたいものです。

つながりは、別の世界にもある

ちなみに、「つながり」だけなら、人間でなくても手に入ります。動物を可愛がる。夜空の星々を見上げる。仮に真夜中に深い森にさまよいこんだとしても、頭上には星々が輝き、木々の緑は呼吸し、大地には無数の命が活動しています。

どこまでも見渡すかぎり命(つながり)の中にある――というのが、仏教が教えてくれる真実です。

孤独は、まったく恐れるものではないのです。

【孤独病からの抜け出し方③――沈黙タイムを保つ】

独りに慣れるために“沈黙タイム”を積極的に作りましょう。

たとえば、仕事帰りや、休日の午後に、ひとりで喫茶店にいって本を読むとか、禅瞑想をするとか。

ほんとは職場でも「沈黙タイム」を作ってみるべきなのです。たとえば、「午後の一時間は、互いに話しかけずに作業に集中する」ことをルールに据えるとか。

ちなみに、古代のインドの修行者たちは「孤独こそ大の親友」という超ポジティブな生き方をしていました。原始仏典に、こんな言葉が残っています――

「三年の間、私が言葉を発したのは、一回だけ。
その最後に“無知の闇”――自分の心が見えない状態――を打ち破った」
                   <「テーラガーター(長老の詩)」より>

極端な話ですが(笑)、それくらい「沈黙=孤独は、心を成長させてくれる」ということです。

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