大ブーム「田中角栄」は何がスゴかったのか? 最もよく知る男が語る「決断と実行力」

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この年(昭和44年)の暮れ、12月27日に衆議院総選挙がありました。世間、とくにマスコミは、「沖縄返還選挙」と名づけて、自民党は300議席を得て大勝しました。勝った理由は「沖縄だ」というのが大方の論評だったけど、私は腹の中で、「それは違うんじゃないか。本当は大学管理運営法が成立して、大学が静かになった。本来の勉強するキャンパスに戻って、日本じゅうの親たちがホッとした。子供の通う大学を静かにしてくれて、佐藤さん、本当にありがとう。こうした有権者の思いが政権の信任につながった」と考えていました。今でもそう思っています。

大学紛争当時の田中幹事長の決断の速さというか、それに判断は見事でした。私は自分の仕えた親方ですけど、本当のところ、今でも感心しています。

“角栄学校”の生徒たちに伝授した選挙必勝法

田中角栄さんは自民党の内外で“選挙の神様”と言われた人です。議会制デモクラシーでは選挙に勝たなければ与党になれない。真実の世論は各級選挙の結果しかありません。

昭和44(1969)年の春、何日だったか忘れましたけど、小沢一郎さんが初めて田中幹事長の前に立ったことがあります。彼はもともと弁護士になりたかった。岩手県出身の代議士だったお父さんの佐重喜(さえき)さんは岸元総理の盟友でしたけど、この方が急に亡くなって、結局、長男の一郎さんが、不本意ながら二世政治家の道を歩む結果になった。そして、お母さんの勧めがあり、田中のところへ来たわけです。まだ26、7の青年で、かわいい顔をしていた。今のような憎たらしい顔ではなかった(笑)。

そのときに、田中が小沢一郎さんに言ったことは、

「一郎君、親の七光りを当てにするな、カネは使えばなくなる。戸別訪問三万軒、辻説法(つじせっぽう)5万回をやれ。それをやり抜いて、初めて当選の可能性が生まれる。やり終えたら改めて俺のところへ来なさい」

ということでした。

あの人は「弟子入りしたい」という若い政治家の卵には誰に対しても判子で押したように、こう言いました。角栄さんが亡くなって、私は改めて当時の精悍(せいかん)な親方と、若かった小沢さんの顔をだぶらせて、懐かしく思い出しています。

それと世間の人はあまり知らないようですが、角栄さんは戦後日本が生んだ“議会政治の申し子”でした。人民の海から生まれた政治家だった。衆議院、議会というところは、議員さんたちが集まって、選挙民、つまり国民から「あれをやってくれ」「これやってほしい」と言われたことを自分たちが責任を持って議論して、法律にまとめあげ、実施するのが本来の役目です。だから、立法府と呼ばれる。ところが今、国会に提出される法案の9割9分は霞が関の秀才たちが用意しています。

私の親方は違った。政治家として73の議員立法を手がけました。あの人は昭和22年4月、新憲法下第一回の総選挙で当選したんですが、39歳で郵政大臣になるまで無名時代の十年間に議員立法を22もつくった。焼け跡の日本を再建、復興させ、田舎の人たちの暮らしもよくしなければならない。これにまっしぐらに進んだ。この時代にガソリン税を創設して、今の道路網の財源にしました。

今の政治家の皆さんは、役人におんぶに抱っこが目立ち、鼻先であしらわれて、本当は馬鹿にされている。目線が現行法体系を越えられず、あと追い投資に終始する役人に使われるのではなく、角栄さんの実績に学び、議員立法に目を向けてほしい、としみじみ思っています。

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