参議院議員選挙が終わった直後の7月12日、安倍晋三首相は経済財政諮問会議において、「経済対策の策定について」と題した指示を出した。世界経済の低迷のリスクに備え、量的質的金融緩和だけにとどまらず、10~20兆円ともいわれる大規模な財政出動も行おうとしている。参院選で与党が、社会保障財源として赤字国債の増発に言及した野党を批判したこともあってか、この財政出動の財源には赤字国債は用いないようだが、税財源には限りがあり、建設国債を増発して公共投資を増やすことに力点が置かれるようである。
目下の日本経済はどうか。失業率はバブル崩壊後最低水準にまで下がり、有効求人倍率はかつてないほど全国的に上がっている。完全雇用状態ともいえる状況である。大規模な金融緩和政策が講じられる中で完全雇用状態ともいえる状況。そうした中で、財政出動をすれば、どのようなことが起きるだろうか。
デジャブのように想起されるのが、田中角栄内閣の下で編成された1973年度予算である。完全雇用状態ともいえる状況で大規模な金融緩和政策を行っていた最中に、大規模な財政出動を行った。
列島改造予算が「狂乱物価」を助長
ときは石油ショック直前の1972年7月、福田赳夫を破って自民党総裁に就任した田中角栄が、「日本列島改造論」を掲げ第1次田中内閣を発足させた。1973年度当初予算では、公共事業関係費を大幅に増やし、一般会計歳出総額が対前年度当初予算比24.6%増という、1955年度以降最高の増加率となる超大型予算を編成した。くしくも、赤字国債は発行せず、国債発行は建設国債だけで賄った。1973年度予算は「列島改造予算」とも呼ばれた。
折しも、1973年の完全失業率は1.3%、有効求人倍率は1.74と統計がとれる1963年以降最高となっていた。また、この頃すでに大規模な金融緩和政策が行われており、いわゆる「過剰流動性」と呼ばれるほど、通貨が市中に大量に流通し、インフレ圧力が懸念される状況だった。インフレが恒常的だったこの時期の日本経済で、銀行貸出から設備投資に回ることが期待された通貨供給の増加は、1972年頃までには設備投資は一服し、むしろ企業の手元流動性の増加に回る局面に変わっていた。つまり、企業が設備投資よりも現金預金など最も換金性が高い金融資産の保有を増やす展開になっていた。
そうした中での「列島改造予算」という大規模な財政出動だった。
列島改造予算は、日本経済に何をもたらしたか。結論から言えば、第1次石油ショックも重なり「狂乱物価」を助長した。1972年度の消費者物価上昇率は5.7%だったが、1973年11月に第1次石油ショックが起きて原油価格が急騰した影響もあって、1973年度には15.6%、1974年度には20.9%と消費者物価上昇率が急騰した。列島改造予算は、インフレの火に油を注いだ。
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