大ブーム「田中角栄」は何がスゴかったのか? 最もよく知る男が語る「決断と実行力」

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「ならば一緒にやろうじゃないか。片棒を担げ。お前が学生時代、共産党だったことは知っている。公安調査庁から書類を取り寄せて目を通した。よくもまあ、アホなことばかりやった。若かったからね。あの頃の若い連中は腹も減っていたし、血の気が多いのは、あらかたあっちへ走った。それは構わない。そのぐらい元気があったほうがいい。ただ、馬鹿とハサミは使いようだ。俺はお前を使いこなすことができるよ、どうだい、一緒にやらないか」

と、にんまり笑いました。

私は、「一晩、考えさせてほしい」と答えた。そして、下宿でまんじりともせず考えた。

自民党が金権と腐敗の温床である現実はわかっている。だけど、社会党は天下を取る気がまったくない。日中――日本と中国が仲良くしなきゃならない。これは私の若いときからの夢でした。田中ならばできる。彼の決断力と実行力、情熱と闘争心はほかに例がない。自民党でドロまみれになるけど、日中問題を解決できるなら男子の本懐だ。

そう結論を出して、私は翌日、弟子入りしました。

命を賭けて成し遂げた日中国交回復

田中角栄と言えば、多くの皆さんに「日中」というのがすぐ出てくるわけですが、私が今でもよく覚えているのは、あの人が天下を取った昭和47(1972)年7月5日の光景です。福田赳夫さんに自民党の総裁選挙で競り勝ったあと、総理官邸2階の天井が低い執務室で、あの人は、私に言った。

「日中を一気にやる。鉄は熱いうちに打て。俺も今が一番力の強いときだ。厄介な問題は力が強いときに一気にやらなきゃ駄目だ。先延ばしをして力がへたってからやろう、なんて考えてもできるはずがない。それに俺は毛沢東、周恩来という男たちを信用している。連中は共産党だ。だけど、死線を何十回も超えてきた。修羅場を何百回もくぐり抜けてきている。そうした“叩き上げ創業者オーナー”というのは、大事を決するときに信用できる。今は何をしなきゃならんか、自分が何を譲って、相手から何を取るか、それをよく知っている。おそらく毛沢東や周恩来は俺に、『台湾とだけは手を切ってくれ。日米安保条約はそのままでいい。我慢ならないことだけれども、賠償に目をつぶってもいい』。この線で必ず来る。今がチャンスだ。俺は一気にやる。秋口までに片づける」

そう言いました。私は体がふるえたことを今でも覚えています。

あのとき、自民党内は八割が台湾派であった。岸信介さんを総大将にして弟の佐藤栄作さん、それに石井光次郎さんや賀屋興宣(かや おきのり)さん、灘尾弘吉(なだお ひろきち)さんというそうそうたる大立者がデンと控えていました。

これを中央突破して、党議決定に持ち込むのは至難の業だ。ならば、政府声明でやる。

「腹の中に銃弾百発もぶち込まれる覚悟がなければ、政治のトップなんていう仕事はできない」

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