経営センスは育てられない、でも、育つ 『経営センスの論理』を書いた楠木建氏に聞く

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──代表取締役社長として担当業務を粛々とこなしている、などは形容矛盾ですね。

経営者は単純に担当者の延長上に出てくるものではない。経営そのものになると、スキルだけではどうにもならないことがある。担当の延長上にはないセンスが必要になる。基本的な認識として経営もスキルで片付くと思うと、代表取締役担当者のようなありえない存在になってしまう。これでは「経営の墓場」だ。その会社は誰も経営していないのと同じ状態になっている。

くすのき・けん
1964年東京都生まれ、幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学商学部卒業、同大大学院商学研究科博士課程修了。専門は競争戦略とイノベーション。同大商 学部助教授、同大イノベーション研究センター助教授などを経る。著書に『ストーリーとしての競争戦略』、『知識とイノベーション』(共著)。

──グローバル化せざるをえないと発言する社長もいますね。

経営は自由意思の原則の下にあって、誰もこうしろと頼んではいないし、誰かに強要されてもいないはずだ。そうでないと、センスもへったくれもなくなってしまう。もともと自由意思は商売の大原則だし、センスをつけるのにいちばん大切なことだ。自由意思ということは好きでやりたくてやるわけで、だから良しあしよりも好き嫌いが決め手になってくる。

──グローバル化では人材不足がいわれます。

グローバル人材がいないからグローバル化が進まないと強弁する人もいる。その際のグローバル人材とは何か。英語が話せてクロスカルチュラルな多様性に対処できるコミュニケーション能力がある人ということか。本当にそういうスキルをそろえた人材がいればグローバル化できるかといえば、そんなことはないのは多くの人がわかっている。

グローバル化の本質はもちろん経営。つまり、非連続性を経営することだ。これまで慣れ親しんだ日本という環境を出て、商売をほぼゼロから組み立てていくのがグローバル化だ。卑近な例を取れば、四国のうどん店が東京に進出するのも、非連続性を乗り越えるという意味ではグローバル化のようなものだ。そのときに必要なのは、「ちょっと俺、東京に行って商売を作ってくる」、こういう人ではないのか。これがまさに経営人材。グローバル人材だけが特別ではない。そういう当たり前のことが見過ごされている。

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