終りのない仕事をしている人たちに興味を惹かれるんです。映画やドラマは結末や終りが見える。そこに向かって走っていけるのがある。一方、テレビのニュースとかバラエティ番組は毎週、毎日ずっと締め切りがあって、終わるときは数字が落ちたときという悲しい状況です。僕もそういった番組やっていたのですが、本数を重ねていくうちにどこに向かって仕事をしているのだろうという気持ちになる。
映画で物語は完結していていますが、編集部の人たちは終わっていない。あからさまなハッピーエンディングとかバットエンドではなく、オープンエンディングという言葉が映画にはあるのですが、ある部分では閉じているけど、ある部分は開いたまま終わるというのが好きなんです。それが編集部を描くことにつながっているかもしれません。仕事というのはずっと続いていくものだし、僕もこれを撮ったからといって終りになるわけではない。また次の作品を撮っていくことになる。
雑誌がなくなることはないだろう
――映画の中でも、編集部員たちがジャーナリズムと商業的な部分との間で大論争になるシーンがあります。雑誌の一番の悩みどころを上手にとらえていると思って見ていました。
僕たちもそうですが、作品をつくる一方で、それは経済活動のひとつだし、だれもヒットを望んでない人はいない。その中でのやりたいことと商品性のバランスを自分でも考えています。
何社か写真週刊誌をリサーチしていく中で、セリフにもありますけど、かつてのようにスクープ一本、スキャンダルネタ一本で売り上げ部数を上げる形ではなく、いろんなことをひとつの雑誌の中でやっていかないといけなくなっている。
作品をつくっている時もスキャンダルとかスクープで売り上げ部数が上がっていくのはちょっとリアリティがないなと思っていたのですが、今年になってからの週刊文春さんのスクープ連発と部数増を見ていると、逆にスクープで稼ぐというのは間違ってないんだなと思うようになりますね。
――雑誌業界の間ではネットへのシフトというがひとつのテーマになっています。それをどう見ていますか。
うまく共存すればそれに越したことはない。数年前までいわれていた「雑誌はそのうちなくなる」ということは、数十年後はわかりませんが、当面はないと思っています。どちらかがいいというわけではないが、パソコンやスマホの画面から入る情報と自分で手に取ってみる情報というのは本能的にみんなうまく咀嚼の方法を分けている気がするんです。
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