今どき東大受験には「非効率な勉強」が必須だ ノートを「開いて」持ってくる生徒は伸びる
鬼頭:それはまさに司法試験の論文問題と同じですね。僕自身も仕事柄、いろいろな人の答案を読みますが、「この人、わかっているな」という推定で読むか、「こいつ、全然分かっていないな」という推定で読むかで、点数がだいぶ変わってきます。
時田:そうですよね。答案をパッと見ただけでも印象が違ってきます。ですから、どれだけ相手のことを考えて答案を書く必要があるかを、生徒たちには強く教えています。
さらに最近の入試では、東大入試に限らず、将来使える力を求める傾向があります。英語では、「こんにちは」=「Hello」だったのが、「What’s up?」などネイティブの人が普段使うようなフレーズに変わっていたり、数学では、公式を覚えているだけでは解けない表や図を分析する力が求められたり。社会でも、普段から情報をキャッチするアンテナを張っていないと答えられない問題が増えています。オリンピックだったり、原発だったり。
鬼頭:なるほど、テクニックだけだと解けないような問題構成になってきてるんですね。
かつては「教えたつもり」になっていただけだった
時田:解き方が分からない、考え方が分からない……となってしまえば、それで終わってしまいます。実際に東大の推薦入試では、自分が今まで学習してきた内容を先生たちに向けプレゼンテーションせよという試験もありました。大学側の求める人物像、メッセージ性をすごく感じますね。
鬼頭:面白いですね。
時田:実は私も、当初はほかの予備校や個人指導と同じく、受験生が覚えるべき内容をただ教えるだけでした。2回、3回教えたことを、4回目にまた間違える生徒がいれば、「何度も教えただろう!」と鼻息が荒くなったり。でも本人からしたら、1回目も2回目も3回目も、分かったような気がしていただけ、こっちも教えたつもりになっていただけ、なんですね。
なので今は、そのズレをなくし、生徒ができない部分は自分でできるようになるまで何度も何度も考えさせるという指導をしています。板書をとって覚えさせるのではなく、自分の力で達成させる。そうすることは、本人にとってすごくうれしいことですし、価値あることです。だから私はその芽をつぶさないように、自分自身で課題を見つけて解決できるように指導していきたいなと。
鬼頭:なるほど、楽しめば続けられるということですね。そして楽しんでやれば自然と効率もあがると。
時田:自分で考える癖が身に付いてしまえば、周りがとやかく教える必要はもうありません。最後の最後まで先生が側にいないとダメな子には、私はしたくありません。結局社会に出れば、周りの人がつねに見てくれる環境というのは少なくなります。自分自身で壁を乗り越えた経験というのは、将来的に大きな人間へと成長させてくれます。
(写真:尾形文繁)
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