我々は立ち止まるべきか、一歩踏み出すべきか。以上をふまえここではその最終決断に影響を与えるいくつかの要件について、私なりの考えを示しておこう。私は難度の高い実験的な外科手術が正当化される要件として、主として6つの要件を考慮する。それは、
①手術を希望する患者の意思が強いこと
②その手術に替わりうる有効な治療法がないこと
③患者の身近に死が迫っていること
④手術に何らかの科学的根拠があること
⑤手術が医学の目的にかなっていること
⑥手術をすることで、医学・医療の進歩につながること
である(詳細は「大コンメンタール刑法(三版)」第2巻、著者執筆部分を参照)。
患者の「死に対する自己決定」を認めないために
この中で、⑥の要件は医学の進歩の陰で人の命が犠牲となる可能性があり、加えることに迷いがあるが、根幹となる要件④にゆらぎがある以上、ヒトへの初の介入が一種の突破口となり、その後の医学・医療の進歩につながるのであれば、組み込まれるべきと考える。いわば要件を積み上げることで正当性を増そうとする考え方なのである。また、医学の進歩という考え方も、これまでの医学の歴史に散見される。
ただし、④の根拠が極めて低い場合、①の同意がどれほど強くとも、患者の「死に対する自己決定」を認めることにつながり、この場合はやはり自己決定に何らかの制限がかかるのではないか。
わが国の臓器移植法には、その5条に移植臓器として、心臓、肺、肝臓、腎臓、その他厚生労働省で定める内臓及び眼球とあり、頭部や頭部を除く人体そのものの移植は認められない。これは、わが国のフィールドでは、現状は取り扱えない問題だということだ。しかしながら、我々の傍らでは起こらない異次元の議論だからと言ってこの問題を放置しておくわけにはいかない。手術予定日は来年末に迫っている。
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