現在は、神経内科のスペシャリストにして札幌山の上病院院長という重責を担いながら、ピアニストとしての旺盛な活動を継続する上杉春雄。さて、このような人物は一体どのような子供時代を送り、何を考えてきたのだろう。早速本人に聞いてみた。
「母親が北海道の田舎の小学校教師をしていて家にピアノがあり、母が弾いているのを邪魔しにいったのがピアノとのなれ初めだったと思います。最初は近所の先生の下で適当にやっていましたが、小学3年生の時についた先生がお弟子さんたちをどんどんコンクールに出すような方で、必然的に練習時間も伸びたのです。
練習時間が増えると学校に行っている暇がなくなり、小学4年生以後は最初から最後まで学校にいることがほとんどなくなりました。2時間目だけ行ったり、1週間連続で休んだりでしたね。とにかくピアノが好きで、弾けもしないのに、ショパンの前奏曲やスケルツォなどの楽譜を引っ張り出しては拾い弾きしていました。
医学への思いとCDデビュー
当時、ピアニストになることを想像したことはあっても、あまりにも日常からかけ離れていて具体的には考えられませんでした。中学1年の時にウィーンでピアノのレッスンを受ける機会があって、“今すぐウィーンに来い。大学を出てからじゃ遅い”と言われたのですが、簡単にハイとは言えませんでしたね。
高校受験が迫ってきた中学2年の春休み、進路をあれこれ考えた結果、“人が生きる”ことの根本にかかわる仕事をするということに思い至りました。根本にかかわっていれば時代がどうなっても自分のやってきたことが無駄だと思わないで生きていける。それが自分にとっては医学だったのです。中学3年間ピアノばかり弾いていたので、さすがに高校時代は勉強中心の生活でした。
大学に入ってからはピアノから離れてまじめに勉強するつもりでした。ところが、たまたま北海道内で行ったコンサートのライブ録音を聴いた東芝EMIの制作部長がとても高く評価してくれて、すぐに「契約しよう」と声をかけてくれたのです。突然の話で戸惑いましたが、こういう話は2度とないかもしれないということでお受けしたところ、いきなりサントリーホールとシンフォニーホールでのデビューリサイタルが用意されたのです。
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