結果はとても好評で“やっぱりピアノはいいな”と改めて思ったことが記憶に残ります。それをきっかけに音楽の勉強を再開し、札幌に戻ってから本格的に演奏活動を開始したのです。
もっと別の形で音楽の勉強をしたかったという気持ちがないわけではありません。12歳でウィーンに行っていたらどうだったんだろう、作曲の勉強もしたかったし、指揮もしてみたかった、何より、コレペティ(オペラハウスなどで、歌手やダンサーに音楽的な稽古を行うピアニスト)になってオペラ座やバレエ団で仕事をしてみたかったなどなど、思い描くことはたくさんあります。
見果てぬ夢のその先に待つもの
医者でいながらピアノを弾くという行為に意味がないのではないかと思い悩み、真剣に音楽の勉強に専念するような環境に飛び込もうかと思ったこともありました。しかし最後のところで、“自分がやろうとしていることは、今の生き方の中でも意味があるし磨いていける”と開き直り、今に至っています。きっとこういう生き方しかできなかったのでしょうね」
“医者にしてピアニスト”という人もうらやむキーワードは、時としてどちらの道にとっても足かせになり得るのかもしれない。それは今をときめく大谷翔平の姿を見ていても感じられる事柄だ。しかし、自らに課した高い課題と世間の評価という荒波をくぐり抜けたその先には、きっと先人の見果てぬ夢が広がっているのだろう。
音楽について自らの想いを語る上杉春雄の姿は子供のように純粋だ。今はバッハの深遠な世界に魅了されつつ、自らの演奏によって新たなバッハ像を切り開くことに専念している。その一方で病院経営に辣腕を発揮し、時間が許せば音楽書の翻訳を手がけつつ、休暇のタイミングには海外にまで演奏旅行に出かけて行く。この飽くなき探究心と強烈なバイタリティがあってこその二刀流であることを、今改めて認識する。
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