スーパー編集者が『宇宙兄弟』の次に描く夢 新世代リーダー 佐渡島庸平 作家エージェント
佐渡島は、日本で半年塾に通っただけで、超難関の灘高校に合格。その後、東大の文学部に進学し、英文学を専攻した。3、4年のときには、柴田元幸(アメリカ文学)、ジョージ・ヒューズ(比較文学)のゼミに参加し、小説や詩をたしなんだ。
「このとき初めて学校が面白いと思うようになりました。授業を受けるのはすごく好きだったし、周りにいる友達と読んでる本も一緒だったし、大学3、4年はめちゃくちゃ楽しみましたよ」
文学に魅せられた佐渡島は、この生活を一生続けたいと思った。自然とアカデミズムの道を志したが、父親に「社会を知るために少しだけ就職活動をしてみろ」と言われ、人生勉強がてら出版社を受験してみた。いざ最終面接まで進むと、父親は「もう十分社会を知ったのだから、このあたりでやめろ」と告げた。しかし今度は大学の先生たちが「文系の大学はきついから、民間に行ったほうがいい」と強く薦めてくる。そこで、佐渡島はひとまず、内定の出た講談社に就職することにした。
天才マンガ家から学んだこと
講談社に入ってまず配属されたのは、週刊漫画雑誌『モーニング』の編集部。そこでいきなり、『バガボンド』の井上雄彦のサブ担当を任された。「講談社に入ったら、小説なら村上春樹、マンガなら井上雄彦を担当したい」と願っていた佐渡島にとって、またとない巡り合わせだった。
「野球の選手もいちばん初めにどの球団に入って、どんな練習をするかがすごく大事じゃないですか。それと同じで、最初に井上さんと仕事をして、マンガを創るのにどれほど工夫と努力をしているのかがわかったのは、すごいメリットだったと思います」
入社翌年には、三田紀房の担当となり、『ドラゴン桜』という大ヒット作を生み出した。2人の天才マンガ家とともに働く中で、「天才とは、100%のモノを創るために努力し続ける才能がある人だ」と、肌で実感した。
「みんな天才というと、努力なしですごいものを出せる人だと思っているんですが、いきなり天才的なアイデアが出てくるわけじゃないんですよ。天才と言われる人は、思いついたアイデアを改善していく回数が誰よりも多い。締め切りが迫っている中でも、井上さんはギリギリまで粘って頑張る。そういう心の持ちようがプロとしてすごい」
天才たちのもうひとつの共通点。それは、「肩書で人を判断しない」ということだ。本当にいいものであれば、立場や年齢にかかわらず受け入れる心の広さを持っている。
佐渡島は、一年目の立場にもかかわらず、三田に対し「こんなふうに絵を描き下ろしてください」と次から次にリクエストをしていった。すると、三田は嫌な顔ひとつせず、「おまえがそうやって努力しているなら、全部協力してあげる」と言ってくれた。
「おまえはわかってないから俺が教えてやる、みたいなのではなくて、僕が挑戦することを100%支援する態度をとってくれた。とにかく人を信頼する力が強い。きっと自分がしっかりしているから、人を信頼できるんだと思います」