前回では、日本で肉用に生産されている牛の割合を見ていただいた。肉専用品種の中で黒毛和牛が突出して多く生産されており、それ以外の和牛品種は比率でいえば1%以下と、誤差程度でしか存在していない寡占状況にあることがわかったと思う。
なぜそのような状況になってしまったのか。
「それはもちろん、黒毛和牛がいちばんおいしい和牛だからでしょう!?」
そう思われる人も多いだろう。黒毛和牛は確かに世界で類を見ないおいしさの要素を持つ、優れた和牛だ。しかし日本最大の頭数規模を誇る肉専用種になったのには、もう少し違う意味がある。
最初に断っておくが、筆者は黒毛和牛も大好きだ。ことにサシの量が適切で、赤身部分にもしっかり味わいと香りがある黒毛和牛は、ほかの品種では味わうことができないおいしさを持っている。
しかし、嘆かわしいことだが、ちまたにあふれている黒毛和牛の肉の多くは、先に書いた味わいや香りを持たず、おいしいと思えないものが多いのが現状だ。牛肉をめぐる状況が変わらないかぎり、そうしたおいしくない黒毛和牛ばかりが生産される状況が続くだろう。
その状況を変えるカギになりえるのは消費者の意識だ。そんな問題意識をもって本稿を書いていきたいと思う。
田畑を耕し荷物を運ぶ「使役牛」から肉用牛へ
ご存じだと思うが、もともと日本では牛は食べる用途ではなく、田畑を耕したり、重い荷物を運ぶための使役牛として存在していた。その頃の牛は現在で言えば自動車のような、生活に重要な役割を果たしてくれる存在であり、牛を食べるなんて考えられなかっただろう。筆者も、黒毛和牛の始祖ともいえる但馬牛を生みだした兵庫県美方郡を調査した際、ご高齢の生産者さんから「牛は神様でしたから、食べるなんてとんでもない」という言葉を聞いたことがある。
神様であった牛が食べるための肉牛に変化するのは文明開化から昭和40年代まで、ゆっくりと時間をかけてである。ただし、農耕や運搬に向いた牛を肉にしても、肉の取れる量は少ないし、筋肉質でおいしくない。そこで明治初期以降、牛を使役にも使いつつ、肉としてもおいしくするための品種改良が始まった。日本にもともといた在来品種に、海外で実績のある外国品種を輸入し、掛け合わせて雑種を作り、肉に向いた品種にしようとしたのである。
この時期、ずいぶんと品種改良の迷走期があったらしい。というのは、国もいったんは外国種との掛け合わせを奨励したらしいのだが、雑種にすると在来品種よりも大型にはなるものの、そのぶん田畑で働かせるには使いにくく、また肉にしたときもあまり質のよくないものが多かったようだ。
そこで大正時代に入ると、在来品種の特徴を重視して、足りない要素を外国種などから補おうという方針に変わる。そして1944(昭和19)年、黒毛・褐毛・無角の3品種が和牛として認められ、1957(昭和32)年に短角も追加されて和牛が現在に続く4品種の時代を迎えたのである。
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