素人経営国家・ニッポンは衰退する 日銀総裁人事に見る、日本経済低迷の理由

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専門家による目利きですらそうであるのに、学者に日本経済を委ねるときに、政治サイドの意見と合うかどうかで政治家が選ぶというのは、おかしい。

政治家は、人格などの目利きを行い、専門化に調査をさせる、その調査のプロセス管理を行い、専門家が選んだ専門家を承認する、それが政治家の役割だ。政治家が、自分で経済学を学び、そこで到った自分の考えを賛同し、理解する学者を選ぶと言うのは、全く逆である。

専門家への敬意喪失が、日本経済最大の問題

せいぜい、組織で働けるか、などのチェックをする必要はあるが、それについては、学者の中では伊藤氏を上回る人はあまりいないから、ここでは、それが人選の理由でないことは明らかだ。

そして、この問題は、この個別の人事に留まらない。この背景には、日本経済の失われた20年の要因である、専門家への敬意の喪失があると思われる。目利きの軽視と並んで、これが日本社会、日本経済の最大の問題だ。

この20年は専門家、あるいはプロフェッショナルへの敬意の喪失としてとらえられる、と言った賢人がいる。金融不祥事から大蔵省への批判、90年代末の金融危機による銀行、証券への信頼の喪失。もちろん、同時進行的に生じた、「政治の専門家」としての政治家への、信頼の徹底的喪失もある。90年代の日本新党のブームも、現在の日本維新の会への支持も、専門家としての政治家への不信の裏返しと考えられる。さらに、原発事故による、技術者、科学技術そのものへの不信。そして、現在、我々が目の当たりにしている、痛烈な日銀叩きだ。

日銀を叩くのは良い。世界中でも、中央銀行が嫌いな政治家は山ほどいる。ドイツのブンデスバンクは、保守的すぎて、不況期には、ほとんどの人々に嫌われてきただろう。

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