トランプが米国と世界にとって大きな脅威だと確信を持つ人々がいる。そうした人々が、このことを十分に正しく理解しているかどうか、私にはわからない。道理をわきまえた穏健な雰囲気の民主党全国大会については、さまざまなことが言われ、「悪意に満ち」、攻撃的な調子の尊大で大げさな暴言がなされた共和党大会と比較されている。ムッソリーニのようなトランプの特徴と言葉での攻撃とは対照的に、オバマ大統領とバイデン副大統領の、そしてヒラリー・クリントン自身が、品位のかがみだった。
クリントンの支持者は、民主党大会であれ、その他の場所であれ、トランプを冷笑して痛烈に批判する傾向がある。かつてヴォルテールが、カトリック教会の教義に反対して使った方法だ。冷笑は効果的な武器にもなりうる。1920年代に、H・L・メンケンというジャーナリストが、アメリカのキリスト教原理主義者が非常に愚かに見えるようにしたため、彼らは何世代かにわたり、政治から手を引いた。
トランプの愚かで無礼な自慢話、俗っぽいセンス、奇妙な見た目は、いずれもきわめて風刺されるにふさわしい。ジョン・スチュワートのようなコメディアンは、トランプをだしにして、情け容赦なく楽しんできた。だが、風刺と冷笑は、トランプをその奇妙さゆえに好む人々を説得するには、役に立たないはずだ。奇妙さは、そうした人々がひどく嫌う主流派から、トランプを切り離すものだ。
分別のある議論は通用しない?
人を引き付けるのに、言葉や外見、礼儀を自制する必要はない。トランプが奇妙になればなるほど、支持者はますますトランプのことが好きになる。そして、ニューヨークの賢いコメディアンがトランプをまねしてからかうほど、ファンはトランプの側に集まる。
これは、怒りのポピュリズムという、私たちの時代では最高にやっかいな問題だ。分別のある議論や政治に関する楽天主義は、今やネガティブな特徴へと変わりうる。
分別のある議論をしても、51.9%の英国の投票者に、EUにとどまるよう説得することはできなかった。無知で危険で、髪型を含めたすべてが変な道化師が米国大統領になるのを防ぐのにも、そうした議論は役に立たないのかもしれない。
(文中敬称略)
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