トルコは民主化と独裁の分岐点に立っている クーデター未遂で歴史の十字路が浮き彫りに

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イスタンブールにはためくトルコ国旗。この国はどちらに向かう? (写真: ロイター/Osman Orsal)

トルコ西部のイスタンブールは、かつて欧州で最も繁栄した都市の一つだった。古代ローマ帝国とビザンチン帝国の首都コンスタンティノープルとして知られ、メフメト2世が1453年に占拠し名前を変更して以降、500年近くオスマン帝国の首都として栄えた。

欧州とアジアを隔てるボスポラス海峡の西側にあるこの街は、地政学的な意味合いで西洋・東洋の懸け橋の中心地だった。キリスト教国である欧州諸国とイスラム諸国との関係を考慮すると、今後もその役割を果たし続ける可能性が高い。

トルコはオスマン帝国の没落から勃興した国家だが、その政治は主導者によって激しく揺り動かされてきた。初代大統領のムスタファ・ケマル氏に限らず、エルドアン現大統領も同様である。

エルドアン大統領と彼が属する公正発展党は、政権に就いた当初の10年間で経済改革や民主化改革を進めた。その結果、トルコはEU(欧州連合)加盟の資格取得に向け、着実に歩を進めてきた。過去の軍事独裁の歴史を、ようやくこの国は克服したと多くの人が考えたのだ。

 しかし、ここ数年で状況は大きく変わっている。複数のEU加盟国がトルコへの敵意をむき出しにしており、EU加盟交渉は暗礁に乗り上げている。シリアやイラクの紛争激化の余波で国内の治安も悪化している。過激派組織「イスラム国(IS)」主導のテロも広がっている。こうした中、300万人もの難民を今も迎え入れていることは、トルコが打たれ強い国であることの証左である。

クーデター未遂は「静かな内戦」の帰結

 2013年以降、トルコでは公正発展党とイスラム組織指導者ギュレン師の支持者との間で、静かな内戦が続いてきた。ギュレン師は亡命し、現在は米国のフィラデルフィア郊外に住んでいる。

公正発展党とギュレン派は一時、非民主的で国家主義的な勢力の根絶を目指して団結した。その一環として2007年、ねつ造された証拠に基づいて、トルコの上級将校が見せしめの裁判にかけられた。この出来事は同国を路頭に迷わせることになったと、現在では多くの人が考えている。

政府はその後、警察部隊や司法、軍の一部にギュレン派が浸透していることへの警戒感を強め、ギュレン派による政府転覆の脅威に対処すべく、強権的な手法を強めた。この対立が顕在化したのが、今年7月のクーデター未遂事件だった。

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