エルドアンが誘う暗すぎるトルコの「未来」 クーデター未遂で大統領の独裁色さらに濃く
イスタンブールにそびえ立つ正義の宮殿は2011年に開館した。キラリと光る19階建ての巨大な建造物であり、欧州最大の裁判所だ。
エミーネはそこで1週間以上、ハンドバッグ1つだけを持って野営し、下級兵士である22歳の息子をひと目見たいと思っていた。彼は7月15日のトルコのクーデター未遂事件の後、拘束されていた。イスタンブールのアタチュルク国際空港の外で軍用車両に乗った翌朝、彼は母にテキストメールを送った。「彼らは私を連行するだろう」。
それ以来、息子からの連絡はない。
兵士の息子が「テロリスト」に
「彼は子どもで、何もしませんでした」とエミーネは語り、自分の苗字を報じるのは差し控えるよう頼んだ。トルコでは兵役は強制であり、彼女の下の2人の息子も、じきに徴兵される予定だ。「近所の人たちは今や、息子がテロリストだったと言っていて...。何が起きているのか、誰か知っていますか?世界は逆さまになってしまったの?」
安定と経済成長が数十年続いた後で1960年、1971年、1980年にトルコが経験したのと同様、将軍たちによる権力奪取を期待したのは国内の少数の人々だけだった。将軍たちが行動を起こしたとき、「人々の意志」を象徴するエルドアン大統領の要求に、数千人が従った。大統領の最も強固な敵対者でさえ、このクーデターに反対した。このクーデター未遂は、トルコの政治がついに前進しておそらく民主主義を受け入れたという、結束と楽観主義の非常に希少な瞬間をもたらした。
しかし数日後に起きたことは、前進や民主主義ではなく、復讐を暗示している。5万人以上の人々が集められ、トルコ政府によって免職や停職に追い込まれた。エルドアン大統領は軍から「テロ分子を一掃する」のためとして3カ月間の緊急事態を宣言。政府は大統領のかつての同志で、現在は政敵である米国在住のイスラム聖職者フェトフッラー・ギュレン氏がクーデター未遂事件の首謀者だとしたが、ギュレン氏は関与を否定している。
「エルドアン大統領は最高指導者になるために、この失敗したクーデターを利用するでしょう」と、トルコの人権活動家は、失職を恐れて匿名を条件に語った。「暗い日々がやってくるでしょう」。