エルドアンが誘う暗すぎるトルコの「未来」 クーデター未遂で大統領の独裁色さらに濃く

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実際、多くの人々がトルコの将来、とりわけ民主主義の方向性について心配している。民主主義は簡単には手に入らない。トルコの民主主義は個人または集団全体の権利と自由をつねに最優先するわけではない。代わりに、多数決主義の手法を取って多様性や違う意見を抑え込むかもしれない。

1923年のトルコ共和国設立以来20世紀の大半にわたって、そうした多数派は都会に住むホワイトカラーのエリート層だった。田舎に住む信心深い底辺層は無視され、社会の片隅に追いやられた。エルドアン大統領は、自分が有利になるよう、この均衡を上手く取っていた。

「彼はこの近くの出身で、彼は私たちが好きだ...彼はわかっている」と、なぜエルドアン大統領を支持するのか、そしてなぜ7月15日にクーデターの企てに立ち向かうため路上に出たのか尋ねられ、26歳のオメル・エメロルは答えた。大統領は、イスタンブールの下町カセンパシャのどこにでもいる少年だった身の上話を、腕の良い器楽家が楽器を長い間かき鳴らすように語り、疎外され選挙権を剥奪されて久しい選挙区のために奏でてきた。

「真のトルコ人」の変節

「彼こそ真のトルコ人だ、この近所の息子だ」とエメロルは言う。「だから私は、エルドアンが私たちに与えてくれたこの国を守るためなら、死ぬだろう」。

エルドアンは、トルコのスラム街、村、町に住むトルコ人に、多くの必要なサービスを提供してきた。イスタンブールの市長、首相として、エルドアンと彼の公正発展党(AKP)は、インフラを改善し、投資を引きつけ、経済を拡大し、社会的流動性を活性化させた。最も重要なことには、彼らは「新しい」トルコについて語った。誰もが自分の話を聞いてもらえて、少数派が尊重されて、寛容さが勝利する、新たなトルコだ。

 エルドアンの統治は、弱小で能力に欠ける野党を前にしても揺るがぬままだったが、彼自身が変化した。彼はもはや、保守層と闘うアウトサイダーではない。カセンパシャ出身の向う気の強いサッカー選手だった彼は保守層の一人になっていた。彼の焦点は「新たな」トルコ作りから、自身が権力と権力にしがみつく能力の維持に変わっていた。

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