パリ女性の美意識は「闘争の歴史」が育んだ わずか半世紀前まで本当の「自由」はなかった

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かつてフランスには、正当な発言機会を封じられたまま葬られた女性がたくさんいました(写真:George Dolgikh / PIXTA)
「人は自由、かつ権利において平等なものとして生まれ、生存する」
フランス人権宣言第1条/1789年8月26日

 

日本では艶やかに巴里祭とも呼ばれる「カトーズジュリエ」は革命記念日の祝日。カトーズジュリエは「7月14日」を意味するフランス語です。1789年のパリの民衆によるバスティーユ蜂起から227年が経ちました。

その7月14日の夜、南仏ニースでまたしてもテロの悲劇です。罪なき一般市民にもたらされた理不尽な死は、あまりに惨酷と言うほかありません。フランス国民は3日間の喪に服し、非常事態宣言はさらに6カ月延長されました。

フランス人と日本人の間にある、感性のズレ

昨秋11月13日金曜日、パリに戦後最大のテロの嵐が吹き荒れました。数キロメートルの距離をおいたシャンゼリゼで、ノエルのマルシェをウロウロしていたわたくしは――騒然とした雰囲気の中を――帰宅して事態を知り戦(おのの)いてしまいました。

モードに美食の都、美の殿堂のパリ。おしゃれで恋愛至上主義のパリジャンにパリジェンヌ。パリがセンシュアルな人々による美と愛のフィールドであることは間違いありませんが、センシュアルを受ける感性、なにを美しいとするかの感覚は、世界中どこでも同じものではありません。

感性にはいろんなセンサーがあり、フランス人もまた多彩な面貌(かお)を持っています。わたくしたち日本人がもつ美意識と、フランス人のもつそれとは、いくらかのズレがあり、そのことに気づいて驚かされることもあるのです。

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