型破りすぎる!伝説の「東大の日本史」問題 解答へのダメ出しがそのまま問題に
さて、東大の先生が受験生の答案にダメ出しして再出題したのは、次のような問題である。
ダメ出しされた答案の内容とは?
藤原実頼・頼忠、および藤原公実という名前をご存じだろうか? きっと知っている人はそう多くないであろう。当然である。教科書での扱いはほとんどない。
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」(この世は自分のためにあるようなものだ。満月のように何も足りないものはない)といった歌を詠んだことでも有名な藤原道長とその子・頼通は、摂関政治の最盛期を極めた人物としてよく知られている。
しかし、彼らより少し前の時代に生きた藤原実頼・頼忠父子は、10世紀の摂関政治の時代に関白となったものの、道長・頼通父子のような権力を持ち得なかった。
一方、藤原実頼・頼忠父子よりも後の時代の藤原公実は、11世紀後半に院政を開始した白河上皇に関白就任を拒否された。その理由を、与えられた(ア)(イ)(ウ)の史料および天皇と藤原氏の系図(エ)から考え、摂関政治と院政における権力のよりどころの違いを答えよ、というのが本問の趣旨である。
そして、ダメ出しされた答案は以下の通りである。
さて、この答えのどこがいけないのだろう。みなさんにも考えて頂きたい。
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