型破りすぎる!伝説の「東大の日本史」問題 解答へのダメ出しがそのまま問題に
以上の内容をまとめれば、問題に対する解答となる。
「東大の日本史」とはアクティブ・ラーニングである
では、以下に私が作成した解答例を載せよう。
(ア)・(イ)の摂関期には天皇家との外戚関係が重視されたため、実際に摂政・関白の地位にある者よりも、娘や孫が皇太后となった者のほうが、天皇の後見人として官吏の任免権を握っていた。一方、(ウ)の院政期には、上皇が天皇の父方の立場から院政を行い、法や先例を打破していったため、摂関家は外戚といえども発言力が弱まった。(※解答例は『東大のディープな日本史』中経出版より)
つまり、あの受験生の答案が「低い評点しか与えられなかった」理由は、「摂関時代」と「院政時代」の語句の説明だけにとどまっており、「権力者はそれぞれ、どのような関係に頼って権力を維持していたか」という問いに対する答えになっていないからだ。
この問題で求められていることは、まず、摂関政治と院政の構造を、さまざまな史実が折り重なった「しくみ」として理解していることである。そして、与えられた史料からその「しくみ」を具体的に読み取ることである。教わったことをただ暗記するという姿勢では、とうてい太刀打ちできない。「東大の日本史」は、知識のみで答案が書けないように設問で慎重にブロックしているのだ。
なお、この年度の第2問は、戦後歴史学の第一人者である網野善彦氏の文章を引用し、「中世に天皇が滅びることがなかったのはなぜか?」「鎌倉時代にのみすぐれた宗教家が輩出したのはなぜか?」という2つの問題について、「これらの疑問は高等学校で日本史を学んだ誰もがいだく疑問であろうし、日本の歴史学がいまだ完全な解答を見いだしていないものであると思われる」が、後者の問いに対して「歴史の流れを総合的に考え、自由な立場から各自の見解を述べよ」というものであった。歴史家が解答を見いだしていない歴史上の難題を、受験生に答えさせようというのである。これにはもちろん模範解答はない。受験生がどこまでの知識を持ち、どこまで自分の頭で考えているかということを問う問題だ。
最近の「東大の日本史」は設問文や史料に誘導があり、やや丸くなった印象を受けるが、単なる知識のみではなく、自分の頭で考えなければ答えられない問題を出題するという姿勢においてはまったく変わりはない。
最近の教育現場では、子供の主体的な学びを促すアクティブ・ラーニングが提唱されている。しかし、「東大の日本史」はそのような言葉がなかった30年以上も前から、暗記科目と見られがちな歴史において、受験生にアクティブ・ラーニングを求めていた。
そして、だからこそ、社会人になってからも学び直せる要素が豊富にある。「東大の入試問題は、一生使える教養の教科書」なのである。
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