英国が「EUを離脱しない」は本当なのか

「EU研究第一人者」北大・遠藤教授が予測

デマや虚偽は、イギリスらしさの対極にあるものと、ながらく観念されてきた。日本人の多くにとって、それは古くは紳士(や淑女)の国であり、ごく最近まで2大政党が政権交代を繰り返すなか、穏当な漸進改良主義を実践する議会制民主主義の母国であった。

イギリスの政治に対する肯定的なイメージは、日本に限ったことではない。例えば米国に亡命し活躍した著名なユダヤ人政治哲学者のハンナ・アーレント(1906-1975)は、人知れずイギリス好きであった。そのわけは、同国が反自由民主主義に対する抗体を持ちあわせているからであった。

彼女の代表作の一つである『全体主義の起源』では、帝国主義を介して、支配する国外で醸成される人種主義のような邪悪が国内に逆流してくるなか、先進帝国に全体主義が植えつけられてゆくさまが描かれている。ドイツやフランスと異なり、その逆流を押しとどめ、自由民主主義を維持するイギリスへの敬意もまた、時折顔をのぞかせる。

しかし、いまやそこここに小トランプや小サンダースが散見され、グローバルな自由民主主義の劣化の波にのみ込まれてしまった。深慮、自己相対化、諧謔(ユーモア)など、イギリスから連想してきた性質が影を潜めた。これは、長い目で見たとき驚きである。「イギリスよ、お前もか」という感を強くする。

もし「離脱ボタン」を押さないと、どうなるのか?

さて、イギリスの自由民主主義のゆくえは中長期的に見守っていくしかないものの、短期的には、EUの離脱のあり方が問われよう。その是非、形態、時期などについて、百家争鳴の様相を呈している。

散見されるのが、離脱は結局起こらないとする議論である。国民投票はあくまで「諮問的」でしかないから、主権者である議会はその結果に拘束されず、残留派が多数を占める議会は、結局離脱を選択しない(具体的にはリスボン条約50条の手続き開始を決定しない)というのである。

この手の議論は、基本を間違えている。純粋な法的議論では、「男を女に変え、女を男に変える以外は何でもできる」議会は万能とされるものの、政治的に今回の国民投票をひっくり返すのは極めてむずかしい。

まず、過度な法的抽象論を離れ、基本的事実を見つめよう。「主権」的な議会は誰に選ばれているのか。それは国民である。その国民が、形式には諮問的であれ、総意を表明してしまった。それが国民投票である。その直接的な意思表明は、間接的な意思決定である議会の立法や採決に対し、相当な政治的正統性を帯びる。イギリス憲法史の権威でもあるヴァーノン・ボグダノー教授はこう述べた。「国民主権は議会主権より深い」。ほぼ間違いなく、議会は国民の声を尊重し、EU離脱に向かうだろう。

仮に議会が離脱ボタンを押すのを拒否した場合、どんな事態を生むだろうか。恐らくカオスである。今回の投票がかなりの程度、反エリート主義に動かされているのが明らかななか、やっとEUからの「独立」を勝ち取った人々はそれにどう反応するだろうか。投票後に行われた残留派のデモ程度では済むまい。

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