松下幸之助の最大の功績は「人間研究」だった 「死んでも構わない」と言った瞬間

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初日から数日の間、非常に苦しく辛かったのは、勉強そのものより、長時間正座をしなければならない、暑さに耐えなければならない、そうとう大きな声で長時間読み続けなければならない、ということであった。当の松下がきちっと正座して、端然とした姿勢でじっと原稿に目を落としている。まことに美しい姿である。松下が正座をしている以上、隣で私が足を崩すわけにはいかない。けれども私には、正座を続けたような経験がない。ものの20分もすれば、痺れて足がじんじんと痛くなってくる。やがて痛さが頭に響いてくる。痛い、痛いと思いながら勉強をしなければならない。

それだけではない。暑い。真々庵の座敷には、松下が電器屋の総大将でありながら、なぜかクーラーがなかった。夏の暑い盛りである。しかも京都の暑さは、湿気を含んで蒸し暑い。縁側のガラス戸をぐるりと開け放しているから、外気の暑さがそのまま部屋の暑さになる。

痛い、暑い、苦しいの三重苦

ましてや私は、声を出して原稿を読まなければならない。顔の汗をときおり拭いながら、しかし、びっしょりと濡れた背中の汗を拭うべくもない。さらに少々うつむき加減でいるため、胸の辺りからも汗がぽたぽた落ちてくる。勉強をしているあいだ、私の頭の中ではずっと、足が痛い、暑いということばかりが駆け巡っている。

さらに苦労したのは、そうとう大きな声を出し続けなければならないことであった。真々庵の庭は二千坪もあり、樹がいっぱい生えている。庭の樹々に集まる蝉はどれほどの数になろうか。それが一斉に鳴くのだから、相当な「騒音」である。ぐるりとガラス戸が開け放たれているから、松下と私の距離は1メートルも離れてはいないけれど、その耳に達するためには私は思いきり大きな声を出し続けなければならない。

原稿を読み続けていくうちに、頭はぼうっとしてくる。目がかすんでくる。3時間もたつと、昼間であるのに、自分が読んでいる一行以外は周囲がぼんやりと暗くなってくる。やがて、4時間近くになると、もう、一行どころか一字一字しか見えなくなってくる。そのうち、かろうじて見える一字が、あたかも蚤の如くぴょんぴょんと原稿から跳びはねだす。そうなってくると、私の読み方はしどろもどろで、つっかかりながらの読み方になる。

松下から、「きみ、ちょっと待て。ここの表現を変えよう」と指示が入る。「このページはこういうことが言いたいのや」と、徹底的に検討する。全部そっくり変えてしまうこともあれば、「『しかし』を『しかしながら』に変えよう」「この『何でしょう』を『何々と思います』にしよう」といった、微に入り細に入りの検討である。その検討が毎日、夕方5時まで続く。そんな状態の半年間は、正直言えば私にとって、痛い、暑い、苦しいの三重苦であった。

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