久実氏亡き後の経営は社長だった窪田氏に委ねられた。だが、窪田氏はまるで久実氏の路線を否定するかのように、中国で直営店事業を展開する上海の子会社を清算。野菜の内製化を狙った、山梨県の植物工場の撤退も進めた。今年2月には智仁氏が一身上の都合で取締役を辞任している。
会社側は5月に2016年3月期の本決算を発表した後、同18日に株主総会の役員人事案を公表。窪田氏など3人の取締役の残留と、8人を新たな取締役に選任する案を提示した。亡くなった久実氏を含め、この1年で実に、10人中7人の役員が交代する計算になる。
こうした人事案に創業家の智仁氏が「何故、この人事にするのか納得のいく説明がない。社外取締役で医者の三森教雄氏は、久実氏の兄で経営に携わった経験がなく心配だ。(河合直忠氏など)元取締役2人が再登板することについても疑問がある」と反対を表明したことで、対立が表面化した。
食い違う双方の説明内容
6月23日の株主総会では窪田氏から10分ほど経緯の説明があった。昨年の11月に智仁氏が常務からヒラの取締役に降格となったという報道について「三森前会長が逝去した後、意思決定のスピードアップ、組織のフラット化を図るために、専務・常務などの肩書きを廃止したものだ」と述べた。
同時に智仁氏は海外事業本部長の任も解かれたが、「将来、当社のリーダーに育ってもらうため、まずは経営が安定している香港子会社の社長として経験を積んでもらいたいというのが私の思い」と説明し、「本人もいったんはこれを受け入れた」(同)。
その後の退任の経緯については、2月の早朝に智仁氏から「一身上の都合で、取締役を辞任したい」と申し出があった。慰留したが、本人の意思が堅かったので辞任届を受理したと説明した。
人事案については、智仁氏をはじめとする創業家側とは、何度も話し合いを重ねた上で、5月初旬に「今後は三森家と会社が、大戸屋の発展のために一致団結していく」旨の合意に至ったという。さらに、取締役候補に河合直忠氏を、社外取締役候補に三森教雄氏を推薦したのは智仁氏らだと発言する。
ところが数日後に、「智仁氏から『先の合意を破棄する』とメッセージがあった。今日まで、三森家から当社に対して『株主提案権の行使』はもちろんのこと、役員人事に対する申し出は一切ない」(窪田氏)。
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