明日なき老人村に、なぜ、ビジネス御殿が建ったのか
徳島空港から南西へ車で1時間半。市街の喧噪を離れ、田畑の広がる平野を抜け、さらに右へ左へ蛇行する細い山道を抜けると、川沿いに広がる集落が見えてくる。
徳島県勝浦郡上勝町。そこは人口2000人余りの四国で最も小さな町だ。およそ2人に1人が65歳以上の高齢者であり、周囲には四国山地を形成する山々と鮎が釣れる水のきれいな川ぐらいしか目立つものがない、典型的な過疎地域である。
ところが、この上勝町には毎年、全国各地から地方議員などの視察者が殺到する。2006年度には人口の2倍近い3957人がこの町を訪れた。彼らのお目当てはこの町を支える基幹産業にある。上勝町を代表する農産物、それは”葉っぱ”だ。さまざまな料理の彩りとして添えられる、つまものを生産している。
たかが葉っぱと侮るなかれ。上勝町のつまもの全国シェアは8割。平均年齢70歳の生産者たちが年収150~200万円を稼ぎ出しており、中には1000万円を超える者や葉っぱで得た収入で”御殿”と呼ばれる大きな家を建てた者もいる。
キツネにつままれたような話だが”葉っぱ”がどうしてビジネスに化けたのか。その仕組みを作り上げたのが、「株式会社いろどり」で副社長を務める横石知二さんだ。
徳島市出身の横石さんが初めて上勝町にやってきたのは1979年のこと。県立農業大学校を卒業後、農業経営をアドバイスする営農指導員として上勝町の農協に就職した。
だが、横石さんが赴任した当時の上勝町はすさみきっていた。当時の主要産業はミカン生産、林業、建設業など。10代の若者は就職や進学で、働き盛りの世代も高収入で体力的に楽な仕事を求めて町を離れていく。その一方、町に残った男性たちは朝から一升瓶を抱えて役場や農協にたむろし、酒を飲んではクダを巻いていた。特に雨の日は3業種とも仕事にならないため、ひどいありさまだったという。
彼らは横石さんの姿を見ては「お前はわしらに何をしてくれる」「補助金取ってこい」と繰り返し、自分で稼ぐすべを見つけようとしない。男性だけでなく、女性もひどかった。男女格差が当たり前の時代で仕事はないし、カネもない。暇な時間は嫁や他人の悪口ばかり言っていた。