子に伝えられることは持っていますか?
挑戦の極端な例としては、お釈迦さまは妻と息子を捨てて出家しました。自分は王子だから、出家しても王様である父親が残された家族の面倒を見てくれるだろうという算段があったのかどうかは分かりませんが、とにかく自分の道を極めるために、すべてを捨てて出家したわけです。
そして数年の修行の後、いよいよ悟りを開いて道を極めてブッダとなりました。興味深いことに、やがて息子も父を慕って教えを請い、立派な仏弟子となりました。ブッダの息子が出家という選択をした父の姿から学んだことは、きっとそのまま王になって悔やみ続けている父の姿から学ぶことよりも、ずっと大きかったはずです。
「子どもの教育にはお金がかかる」
確かにそうかもしれません。
でも、そこで思考停止するのではなく、今必要な教育とは何なのか、自分は子どもにどんな人生を歩んでほしいと思っているのか、ちょっと考えてみませんか。
自分は子どもに何を伝えたいのか?そもそも伝えられるような何かを持っているのか?
子育ての大事なところは、アウトソーシングできません。もちろん、家庭の外での経験も大切です。習い事や課外キャンプなどで学ぶこともたくさんあります。しかし、その経験も家庭に持ち帰って親と対話することによって、学びの成果が倍増します。親という字は、「木に立って見る」と書きますね。高い視点から長い目で、子供の歩む道を見守り、自然にナビゲートしていく。
「泥中に あれば花咲く 蓮華かな」
親鸞の教えを表す歌として五木寛之氏が紹介されていました。
教育にお金はかからない、というつもりはありませんが、お金をかければリーダーシップが身に付くという時代でもありません。諸行無常の世の中で、泥中に咲く蓮のように、困難を栄養としてどんなところでも花を咲かせられるような生命力を、親子一緒に養っていきたいものです。
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