必要なのは、今やあらゆる分野で漂流している船長不在で舵を失った客船を、再び目指すべき方向へと導く若いリーダーたちです。そのようなリーダーが、旧来型の成功モデルを追求する教育によって生まれてくるとは、到底思えません。
子育ては親が自らの成功体験を捨てるための修行
とりわけこれからの世の中は、すべてお膳立てが整った環境で育った子どもには、厳しい世の中 になっていくはずです。なぜなら、大変な負の遺産を背負わされた子どもたちが、日本社会を新しく創り直さなければならないからです。
ビジネスの世界で次世代リーダーを育てる教育機関であるビジネススクールも、ドラッカーからコッターへ、そして今も日々新たなリーダーシップのあり方を常に模索し続けています。MBAの学生達は現状に甘んじることなく、常に過去の自分を捨てて生まれ変わり続けることを求められます。
どうしても自分が親になると、自分の経験した範囲、想像できる範囲の中でベストな選択肢を考え、子どもにそれを選ばせようとしてしまいがちです。しかし、親子とはいえ「子どもは他人」です。しかも、数十年も違う時代を生きる他人です。自分にとって良かったものが、子どもにとって良いとは限りません。ある面で子育ては、親が自分の成功体験を捨てるための修行でもあるのです。
2つ目の理由としては、教育費を心配する親の姿を、子どもは見たくないはずだから。より正確に言うなら、教育費を言い訳にして挑戦から逃げる親の姿なんて、子どもは見たくないはずだから。
「子どもはカネがかかる」は思考停止
「子どもの教育にはお金がかかる」という刷り込みは、親の人生の挑戦を阻害します。
つまり、「子どものことを考えれば、自分のやりたい事は二の次、まずは安定した生活作りが第一……」「本当は自分がやりたいことは別にあるのだけど、子どもの教育のことを考えれば、そうわがままも言っていられない……」。
子どもが独立するまでは、不本意だけれども、今の仕事を続けるのが親としての務め・・・」というふうに、その刷り込みは、親が自分の挑戦心を引っ込めて、現状維持に逃げ込む絶好の言い訳を提供するのです。
しかし、そんな親の姿は子どもだってイヤでしょう。悩む姿を見せるより、「挑戦し続ける親の背中が子どもを育てる」のです。子どもが親から受け取るものは、教育費もあるでしょうけれど、それ以上に、どういう思いで家族と向き合っているかとか、どんな気持ちで仕事をしているかとか、親の人生そのものから学ぶことのほうが多いはずです。それをそのままマネするかどうかにかかわらず、親がいきいきと挑戦する後ろ姿こそが、子どもにとって何よりの教育です。
「お父さんはどうしてお仕事するの?」という子どもの問いに、「家族の生活のためだよ」ではない答えが最初に来るようにしたいものです。
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