供給過剰のエリートと、不足するリーダー
第一に私は、これらの仕事を通じて、自分はどんな仕事に向いていて、どの分野で社会貢献したいのかを既に知っている。またこれらの業界は、私以外にも、これらの仕事をやりたがっている優秀な若者がゴマンとおり、私がこれらの業界で働くことが社会への最善の貢献方法だとは思えない。
人生半分の折り返しを前にする今、「自分ならではの社会へのポジティブインパクトを最大化できる分野に人生を賭けたい。敷かれたレールの上で競争してそのトップを走るエリートより、自分のレールを敷いて自分に合った未来を切り開く自分の人生のリーダーになりたい」と思うようになるものなのだ。
「そんなこと、わかっとるわ」と怒られそうだが、社会や人様が決めた“羨ましがられるキャリア”より、自分の脳内アドレナリンとエンドルフィンが300%大放出するキャリアを30代半ばまでに知っておかなければならない。
エリート同士の消耗戦
もっともらしいことを書いたものの、もう1つのマイナーな理由を正直に言うと、何といっても「これらの仕事はとんでもなく疲れる」のである。
実際に長時間労働だし、作成する書類の量も半端ではない。“いい大学”の中でも上昇意識と労働意欲においてトップクラスの人材が集まっているため、「もともとの賢さ×もともとの真面目さ×人徳の高さ(ここで一番差がつく。リーダーシップや協調性がこれに当たる)」で優秀な人材が、同じことをしてシノギを削っている。
海外オフィスだとまだマシなのだが、東京勤務だと休日も少ない(実はコンサルティングファームは激務の合間やプロジェクトの谷間に、思ったよりたっぷり休めるのだが)。
ところで、北欧オフィスの同僚と同じプロジェクトのときは驚いた。彼女たちは本当に2か月間も平気で休むのである。あるフランス人の同僚に、「なぜヨーロッパ人はこんなに休みが多いんだ? 」と質問したところ、「第2次大戦後、疲弊した国民をハッピーにするため法律で長い休暇を義務付けた」と回答してきたのだが、これは本当だろうか。
なお私が北欧滞在プロジェクトで明るい深夜2時のヘルシンキで考えたのは、ヨーロッパの北部では一日中夜の期間が続き働くのには適さないため、まとめて休むことにしたのではないか、ということだ。また南欧のスペインなども夏はとても暑くて仕事どころではない。欧州には、気候的な特質上、生産活動に向いていない時期が一定期間あることは確かである(ちなみにスペイン、あの乾燥した気候でチョリソーさかなに飲むビールが、旨いんだなこれが)。
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