あなたはネットの本質を理解していますか 破壊的なイノベーションを起こした理由
インターネットは単なるルールなので、そのルールを乗せる「物理的な回線」は、電話線だろうと光ファイバーだろうと、あるいは無線でもなんでもかまわんぞ、というところが破壊的(disruptive)と言われる所以である。飛行機だろうが船だろうが貨物列車だろうが、ある特殊な荷札(タグ)をつけてるのなら運んでやるよ、ということと同じと考えればいい。
ただし、インターネットは荷物をデジタル・データに限定している。「たまに荷物を落っことすこともあるけど、まあそう目くじら立てるなよ」とも言っている。こういう杜撰さが気に食わないNTTの研究者がもっと高級で複雑なルールを作って提案したが、国内外の誰からも相手にされなかった、という歴史もある。
ともあれ、インターネットは「ユルい約束」で「接続したとみなす」という仮想化を行っているところにその本質がある。ここがもっとも重要なポイントである。
仮想化は日常的なものである
仮想化は、私たちの日常生活では比較的ありふれた態度・行為・モノだ。
例えばキャンプ場では「とりあえず今夜はこのテントを家ってことにしておこう」という一種の仮想化が行われる。家の本質(essence)を寝ることと考え、ごくシンプルに表現したらテントみたいなものでよかろうということになった、のである。
一見、いい加減な態度にも見えるが、とりあえずその夜はそれで構わないはずである(ただし、長期化すると腰が痛くなる)。
最近流行の民泊(みんぱく)も「俺の部屋、最上階だし海も見えるから、この日だけはここをホテルってことにしたら借りてくれるヤツがいるんじゃなかろうか」という一種の仮想化だし、盛んに物議を醸してはいるが、例のUBERも「今だけ俺をタクシードライバーってことにしてもらっていいよ」という仮想化である。
もっと身近なところで言えば、手ぬぐいは、バスタオルとハンドタオルとハンカチの3種類の機能を仮想化したものと言えないこともないし、「お風呂でアタマ洗おうと思ったらシャンプーが切れていたので、とりあえず石けんで洗っちゃえ」というのも緊急避難的な仮想化だ。
しかし、こうなってくると、どうやら自分の人生自体が単なる仮想に過ぎないらしいというイヤな予感がしてくるのでこのあたりで止めておく。
最近筆者の友人が「面白い食堂がある」と連れて行ってくれたのが東京・神保町にある「未来食堂」だった。既に様々なメディアで頻繁に取り上げられている有名店だが、一言でいえば「家庭料理の仮想化」に成功している店だと言って良い。
家庭料理の本質とは「オーダー(注文)という概念が存在しない」ということである。