「死を意識するため小説を書いた」 新世代リーダー 川村元気 映画プロデューサー(上)
――今回の小説は、自らの人生の前半戦を総括し、後半戦を生きていくための棚卸しみたいなものですか。何が人生にとって重要かを考えるために。
そうです。あと僕は、映画を作っているときも、何か革新的なことをやってやろうというつもりはなくて、自分の生活実感として感じているけれど、みんな口に出していないような世の中のムードとか空気を引っ張り上げてさらけ出すことを続けているだけなんです。
『モテキ』だったら、みんなとりあえず封じておきたい恋愛の痛々しい思い出を、わざわざ映画にして面白おかしくやった。ちょっと悪趣味なところもあったと思うんですけど。
たとえば、「携帯電話を見ているときに、なぜだかみんな不幸そうな顔をしている」と言われれば「ああ、確かに」となるけれど、それに気付いている人生と、気付かない人生だったら、気付いているほうがいいんじゃないかと。
なんとなくみんなが薄ぼんやり思っているような不安とか感覚みたいなものを、どれだけ物語で言えるか、というのが小説を書くときの狙いとしてあった。それは映画でやっていることと極めて近いんですけど。
きっかけは、吉田修一さんとの仕事
この小説を書き出したきっかけは、小説家の吉田修一さんと『悪人』という映画を作ったことです。
吉田さんに脚本もお願いしたんですが、そのときに、共に苦しみながら、小説にできること、映画にできること、それぞれについて多く発見することができた。僕もいつか、今吉田さんがやっていることの逆、映画の観点から文章でしかできないことを表現することにすごくトライしたくなった。
小説は『世界から猫が消えたなら』というタイトルですけど、文章で書くと1行で済むんです。読者がその世界を想像して、補完してくれるから。でも映画だと、どんなにカットを重ねても、「世界から猫が消えた」という状況を説明するのは難しい。そういう、文章でしか表現できない世界で、物語を描いてみたかったんです。