「死を意識するため小説を書いた」 新世代リーダー 川村元気 映画プロデューサー(上)
実は自己啓発本とか、新書の依頼はすごくいっぱいいただいていた。でも、僕はエンターテインメントの人間なので、本当に言いたいことは物語で語るべきだという思いがあった。
そう思っていたとき、去年、携帯電話を落としたことがあった。僕らの仕事は携帯を落とすとすごく困ります。急いで公衆電話を探しても、なかなか見つからなくて、ようやく見つけて電話をかけようと思ったら、「あっ、職場も友人も親も誰の番号も覚えていない」と気づいた。それがすごく怖いと思ったんですよ。使い始めてせいぜい10年間のものに、自分のすべての記憶が入っちゃっているのかと......。
そのあとに、やることがないから電車に乗って周りを見たら、電車の中にいる僕以外の40人ぐらいが、全員携帯の画面を見ていた。その携帯を見ている顔がなぜか不幸そうに見えた。そのときにお得な気分になったんですよ。僕は、「その他一人」になれたんだと思って。
だから何かが消えることによって、もちろん失うこともあるんだけど、得るものもある。旧約聖書の「創世記」の中で、神様は6日間かけて世界を創って、7日目に休みを取る。今回の小説ではそれとは逆に、6日間かけて世界から物を消していって、最後自分が死ぬという主人公のストーリーにしました。
映画から人生哲学を学んだ
人生を生きていると、目の前のことにどうしても追われていきますが、本当に優先すべきことはほかにあったりする。これも小説に書いていますけど「携帯の着信履歴に折り返すのにいっぱいいっぱいで、母親に1本電話すればいいのにしない」。男って特にそう。会ってもなんだか、母親に雑な扱いをするみたいな。それは本当によくないと思いますね。
たとえば、小説の第2章では、映画が世界から消えます。映画が消えると、僕の仕事がまずなくなるし、僕のいちばん好きなものがなくなってしまう。そのときに初めて、映画ってこんなに自分に人生を教えてくれていたんだと気づくわけです。
「実際に道を知っていることと実際に歩くことは違う」(『マトリックス』のセリフ)とか、「人生は寄ってみると悲劇だが、引いてみると喜劇である」(『ライムライト』のセリフ)とか、もう哲学じゃないですか。でも、これが映画なんだなって。つまり、そういう哲学が物語に含まれて、無意識のうちに体の中に入っている。なんかそれがいちばん高級だと思ったんですよ。
お題目をバーンって哲学書でいわれるよりも、映画を笑って泣いて観ていたら、物語の中にそういう哲学がいっぱい埋まっていて、それが自分の体の中に染みついて自分の哲学になっていく――そういうのが、映画の魅力です。だから、映画の章を書きながら、物語の強さを実感しましたね。
――ストーリーになることによって、体への染み込み方が違ってくる。
こむずかしいことでも、「昔こんな人がいてね」と前置きされると、聞く気になるじゃないですか。人はやっぱり何か大事なことを言われるときに、物語で言われたほうが入っていく。
10年ほど前に、『チーズはどこへ消えた?』や『世界がもし100人の村だったら』といった大ベストセラー本がありましたが、寓話で世の中の真実を語る本は、すごく印象に残っています。何かやるなら、ああいう形がいいと思ったんです。