とはいえ、イランに行った人は少ないでしょうし、イランのことを知らないのが実体だと思います。イランはたいへんに多様性のある国家ですから、つかみどころのない部分もあります。僕自身も今回の訪問を含めてたった3回しか行っていませんが、知れば知るほど不思議な魅力にあふれた国家だと思います。
イランは、大陸性気候のため暑さ寒さの差が非常に激しい。内陸部ではステップ気候で砂漠気候に属しているため、特に夏場には40度を超えるところも。寒暖の差が厳しい山岳地では、12月から2月かけては零下10度になることもあるといいます。歴史を振り返ると、やはり砂漠の厳しい環境がイランの人々の性格を形成してきたのでしょう。いわゆる「土漠の民」の性格で、いつの時代にも戦いに明け暮れてきました。地政学的にも東西南北から攻められるため、常に臨戦態勢にあったと言っても過言ではないと思います。
イラン革命からは米国との関係が悪化して世界から孤立してしまいましたが、実際には2500年前の古代オリエント、アケメネス朝ペルシャの時代から、アーリア人による歴史と伝統を誇るすばらしい国家です。イラン人はたいへんプライドが高い民族で、基本的に米国を嫌っています。経済制裁の期間、裏で経済的に協力してくれたはずの中国人に対しても良い感情は持っていないようです。その理由はよくわかりませんが。
一方、日本人はたいへん好かれています。テヘランのバザールを歩いていると、中国人に間違われて「ニーハオ」と声をかけられますが、「日本人だよ」と答えると相好を崩して「日本人は大好きだ、尊敬している」と答える人がほとんどです。親日家が多いせいか、イランを訪れた日本人は誰でもイラン人に対して良い印象を持つようになります。僕自身も例外ではなく、応援したいと思っている一人です。そんな切り口から「誤解されやすいイラン人」について迫ってみたいと思います。
経済制裁を受け世界から孤立
25年ぶりにイランに行っていちばんの驚きは、テヘランの雰囲気が何も変わっていないということでした。過去の四半世紀は特にBRICSの発展が目覚ましく世界中、どこもかしこも目を見張る経済発展を遂げましたが、イランだけはアメリカからの経済制裁のために、経済発展がなかったと思います。
歴史を振り返ると、1979年のイラン革命でパーレビ国王が倒れホメイニー師による政権が興りました。当時、民衆の不満、共産党の影響、そしてシーア派からの宗教回帰がイラン革命につながっていました。イラン革命の後はイラクが攻めてきて、戦争慣れしている印象があります。周辺国から攻められてきた歴史から、少しくらい(抑止力として)核武装をしたくなる気持ちもわかりますが、日本人の立場から言わせてもらうとやはり核武装は廃絶してもらいたい。
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