始まった優先株転換 三菱自動車再建の行方
解かれた自粛要請
そもそも優先株の転換は05年以降可能になっていた。なぜ、三菱グループ企業がここに来て転換に動き出したのか。
三菱自は、「引受先が独自に判断したこと」とするが、関係者は、「これまで三菱自は第2、3回A種優先株を保有するグループ企業に普通株への転換の自粛を要請していた。その要請を少し前に三菱自が解いた」と証言する。
1990年代前半には「パジェロ」を大ヒットさせた三菱自だが、その後は販売が内外で落ち込んだ。00年に入るとリコール隠しも発覚し、経営危機に陥った。04年には資本提携していたダイムラークライスラーから追加支援を打ち切られた。
三菱の冠がついた会社を潰すまいと三菱グループによる支援体制が組まれた。04年から06年にかけてグループで約5000億円の優先株を引き受けた(そのほかJPモルガンと台湾の中華汽車工業も優先株を引き受けた)。
これらの優先株には普通株への転換条項と、転換価額が一定の範囲で毎月の普通株の株価に連動して修正される条件がついた。よって、普通株の株価変動リスクはおおむね遮断されている。それでも、JPモルガンと中華汽車は早々に転換を実行し、普通株を売却してしまった。
一方、三菱グループは優先株の一部を転換したものの、原則として優先株のまま保有してきた。09年度以降予定していた5%の優先配当は一度も実施されていないにもかかわらずだ。
ここでもう一つ、このタイミングで自粛が解かれたのはなぜか、という疑問が浮上する。考えられることは三つある。