3日目になり、ようやく松下本人が面接をすることになった。いざ会えるとなると、それまでの腹立ちより、たいへんな緊張を覚えた。あれほど緊張したのは、生まれて初めてのことだった。大きな部屋で怖い人で、語調明瞭にして刺すような声でというイメージが頭をよぎる。そのときの私が知っている松下幸之助は、松下グループの総帥であり、遥かに遠い「経営の神様」である。鋭い質問に立ち往生してしまったらどうすればいいのか。
ところが松下は、私が考え想像していたような人ではなかった。むしろ正反対であった。
威圧感のない応対をしてくれた
面接の部屋に入ると、大きな机の向こう側に松下幸之助が座っていた。私は緊張しきってその前に立った。すると「ま、座れや」と第一声。「きみ、どこの大学出たんや」「専門はなんや」と関西弁でニコニコしながら、やさしく語りかけるように話しかけてきた。質問を浴びせるというようなところは微塵も感じられなかった。威圧感もなく、また命令的でもなかった。言ってみれば世間話みたいなものである。「きみの出た大学は、どういうところや」。しかも私の目をじっと見て、身を乗りだして熱心に、私の答えに耳を傾けている。私は、想像とまったく違っていたことに、心の中で少なからず驚きながら、にこやかで温和な松下の顔を見つめていた。
「この人は実にやさしい人だ」
という言葉が私の心を満たしていった。このような人なら、そして二年間ならこの人のもとで仕事をやってみたい、ぜひやってみたいと思った。
「はい、お願いします」と返事をすると、松下はにっこりと笑って、「うん、そうしよう」と言った。
人間とは不思議なもので、第一印象がその後の思考や行動に、大きな影響を与えるものらしい。「松下さんは、やさしい人だ」という印象は、それからの私の松下に対する接し方に大きな影響を与えることになった。
約束した2年間は、結果的には松下が亡くなるまでの23年間ということになるのだが、その間、何度も厳しく注意され、激しく叱られながらも、恐怖心というか、「こわい」という気持ちは1度として持ったことはなかった。ときとして峻烈を極める叱責を受け、身動きすらできなかったときにも、その奥底に何かやさしさ、柔らかさを感じていた。
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