松下幸之助は初対面での第一声が特別だった 初めて会った日に何を語ったか?

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どんなところだろうか。何をしているところだろうか。PHPとは何を意味しているのか。いく人かの先輩に聞いてまわった。ある人は「あそこは松下さんが直接にやっているところで、何をしているのか、自分にはわからないが、非常に厳しいところだそうだ。お辞儀の仕方から、歩き方まで細かく注意される。きみも覚悟をしたほうがいい」と言う。

幹部クラスの先輩に尋ねると「あそこは松下グループの聖域だから、自分たちもなかなか近寄り難い。よくわからないが、自分のような者には勤まらない。しかし、きみは頑張れ」と言う。そんな類いの話をいくつも聞かされると、PHP研究所に対する不安と恐怖心がますます膨れ上がってくる。

悩みに悩んで異動を決断

どうすればいいのか。当時26歳の私は悩みに悩んで、1週間食事がのどを通らなかった。嫌なところへは行きたくない。だいたい私は束縛されるのが嫌いな性格で、決まりきった行動や話はどうも性に合わない。そんな職場には替わりたくない。たとえ会社を辞めさせられても拒否しよう。先輩の言うようなところならば、すぐにこの話は断ろう、と思った。

そう考えているうちに、ふと、「そうだ、松下幸之助さんに会えるかもしれない。1度会ってみたい。断るならそれからでもいい」と考えた。松下幸之助という人は、入社式のときに遥か彼方からしか見たことはなかった。よし、そうしよう。会ってからこの異動を拒否してやろう。それがいい、と自分なりに合点していた。そう考えると、気持ちが楽になり、いつどのような言い方で拒否するかという思いでいっぱいになっていた。

秘書としての面接というのだから、私は当然すぐに松下幸之助と会えるものと思い、横浜―大阪間の日帰りと勝手に決めていた。しかし、まず松下電器の人事課長が面接をした。次にその上司の面接があり、ようやくPHP研究所の責任者の面接があった。結局その日は、松下幸之助が忙しいということで会うことができず、急遽私は1泊することになった。宿泊の用意も持っておらず、とりあえずの安い小さな、こんなところと思うような旅館であった。翌日、ふたたび出かけていった私に、昨日面接をした人事課長がたまりかねたように言った。

「きみね、男でも笑顔が大事だよ。笑顔で話ができないかな」

しかし私は断るつもりで来ていたうえに、予想外に何回もの面接をされるので、とても笑顔どころではなかった。その日は重役が出てきての面接となり、またしても松下と会うことはできなかった。私は腹立たしい気持ちもあったが、やはり松下には会ってみたいという思いが強く、もう1泊して、それで駄目なら黙って帰ろうと決めた。

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