天才は、どんな日常生活を送っていたのか マーラーは仕事の時間に正確だった
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756~1791)
数年間ヨーロッパの貴族社会で過ごしながら、望みの地位につくことができなかったモーツァルトは、1781年、ウィーンに定住してフリーの作曲家兼演奏家としてやっていくことにした。
ウィーンではモーツァルトのような才能と名声のある音楽家には多くのチ
ャンスがあった。しかし、生計を立てるために、ピアノの個人教授や、コンサートでの演奏や、裕福なパトロンとのつきあいに忙殺されることになる。そのうえモーツァルトはのちに妻となるコンスタンツェとつきあいはじめ、彼女の母親ににらまれていた。こういった状況で、新しい作品を作る時間は日に2、3時間しかなかった。1782年に姉へ宛てた手紙のなかで、ウィーンでの多忙な毎日について詳しく書いている。
あまりにもたくさんやるべきことがあった
"いつも朝6時には髪のセットを終え、7時には服装もきちんと整えている。それから9時まで作曲をし、9時から午後1時まで個人レッスン。そのあと昼食をとるが、どこかの家に招かれて2時か3時から昼食ということもある。たとえば今日と明日はツィキー伯爵夫人とトゥン伯爵夫人のところへ行く。夕方5時か6時までは作曲の仕事ができない。その時間にも、コンサートが入ることがある。コンサートがなければ、9時ごろまで作曲する。そのあと愛しのコンスタンツェのもとへ行くが、彼女と会える喜びも、たいてい彼女の母親の辛辣な言葉で半減してしまう……10時半か11時ご
ろに家に帰る。
何時になるかは、コンスタンツェの母親の嫌味と、僕がそれにどれだけ耐えられるかによる。夕方はコンサートがあったり、あちこちへ呼びだされたりして、必ず作曲の仕事ができるわけではないので、いつも(とくに早く帰ってきた場合は)寝る前に少し作曲をするようにしている。午前1時ごろまでやっていることもよくある。そして翌朝はまた6時起き!"
「とにかく、あまりにもたくさんやるべきことがあって、なにがなんだかわからなくなってしまうことがよくあります」 父親に宛てた手紙のなかでモーツァルトはいっている。それは誇張ではなかったらしい。父親のレオポルト・モーツァルトはその数年後に息子のもとを訪ね、その生活が予想どおり、すさまじく忙しいことを見て取った。
ウィーンから自宅に宛てた手紙でレオポルトはこう書いている。「このせわしさとあわただしさを、いったいどう表現すればいいだろう」
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