天才は、どんな日常生活を送っていたのか マーラーは仕事の時間に正確だった

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マーラーは作曲小屋に着くと、まず小さなアルコールコンロに火をつける。「彼はほとんどいつも指にやけどをしていた。それは不器用だからというより、ぼんやりしているからだ」とアルマは書いている。コーヒーに入れる牛乳をあたため、外のベンチで朝食をとって、そのあと小屋にこもって仕事をする。いっぽうアルマの仕事は、マーラーが作曲をしているあいだ、小屋を騒音や雑音から守ることだった。自分はピアノを弾くのを控え、近所の住人にはオペラのチケットを配って、犬を外に出さないでほしいとたのんだ。

マーラーは正午まで仕事をすると、ゆっくりと母屋の自室に戻り、着替えをしてから湖まで歩いていって泳いだ。湖に入ると、口笛を吹いて、妻に浜辺へこいと合図する。マーラーは日なたで寝転がって体を乾かすのが好きだった。体が乾くとまた水に飛びこんで、それを4回も5回も繰り返す。そうするとようやく元気になり、食欲もわいて家で昼食をとろうという気になったらしい。

昼食はマーラーの好みで、量は少なめでシンプルな、しっかり火を通した薄味の料理が出された。「昼食は空腹を満たすためのもので、あまり食欲をそそったり、胃がもたれたりするものはいけない」 アルマはそう書き、そんな食事が自分には"病人食"のように見えたといっている。

昼食後、マーラーはアルマを連れて3時間から4時間も湖畔を散歩し、ときどき立ちどまっては、浮かんだアイデアをメモ帳に書きとめたり、鉛筆を振って拍子をとったりした。

妻アルマの葛藤

そういった作曲のための中断は1時間かそれ以上続くこともあり、その間アルマは木の枝や草の上にすわって、夫のほうを見ないようにした。「浮かんできた音楽に満足すると、彼はわたしのほうを見て、ほほえみかけた」。アルマはそう回想している。「わたしにとって、それは最高の喜びだと知っていたのだ」。だがアルマは、気まぐれで孤独な芸術家の妻と
いう新しい役目を手放しで喜んでいたわけではない(結婚前はアルマ自身、前途有望な作曲家だったのだが、マーラーは彼女に作曲をやめさせた。作曲家は一家に一人で十分だというのが彼の言い分だった)。

その年の7月の日記にアルマはこう書いている。「わたしのなかでたいへんな葛藤が渦巻いている! わたしのことを考えてくれるだれか、わたし自身を見つけだすのを助けてくれるだれかを熱望するみじめさ! わたしは家政婦になってしまった!」

いっぽうマーラーは妻の心の葛藤には気づかなかったか、あるいは気づかないふりをしていた。その年の秋には交響曲第5番をほぼ完成し、その後数年間、夏のあいだはマイヤーニッヒでまったく同じ生活を続け、交響曲第6番、第7番、第8番を作っている。作曲がうまくいっているかぎり、彼は機嫌がよかった。ある友人に宛てた手紙でこう書いている。「私が人生で望み、必要とするのは、仕事をしたいという衝動を感じることだけだ!」

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