「バターが買えない」の裏にある不都合な真実 新聞報道は重要なポイントを見落としている
大学の教授も中立ではない。酪農を専門にする人たちが、みずからの飯のタネを否定するような主張をするはずがない。酪農は必要で、農林水産省の補助をもっと高めて、もっと発展させるべきだということは、彼らの議論の前提である。彼らの多くは農政に批判的である。しかし、それは農業保護が低すぎるとして批判的なのであって、農政が納税者や消費者に負担をかけているから保護を削減すべきだというものではない。そもそも酪農が保護に値する産業なのかという議論は、タブーである。
必ずしも酪農を専門とはしない農業関係の研究者の人たちも、農協など酪農団体に講演を依頼されたり、団体の理事や検討会の委員となったりすると、酪農団体に迎合するような主張になりがちである。講演を頼まれて、依頼者や聴衆の感情を害するような発言をする人はいないからである。
ほとんどの大学教授は、これらの団体から講演を依頼されている。中には、大学教授としての報酬をはるかに上回る講演収入を得ている人たちもいる。兼業収入の方が本業を上回る、第二種兼業大学教授である。一般の公務員は、兼業が禁止されているが、国立大学の教授の兼業、アルバイトはフリーパスである。
一見、特定の団体の利益から離れているように見える、またはそのような態度を装っている大学教授も、実際にはその団体の立場に配慮した発言や活動を行ったりしている。農学部に属する以上、運命共同体である農業村の和を乱すことは、タブーである。
タブーが犯されない以上
農業村の人たちが主張する噓を見破ることは、簡単ではない。特定の立場やアングルからしか酪農や農業を観察できない農業村の人たちが、意図しないで、あるいは十分な知識を持たないで、間違ったことを主張する場合もある。自分たちに不都合な真実から、無意識のうちに目をそらしてしまうからである。
最終的には、バターがなぜ不足するのかの謎を解き明かすことで、なぜ農業村の一部である酪農村の人たちはバター不足を生じさせたのか、その裏にある酪農村の実情の一端を紹介するとともに、これで被害を受けているのは誰かということを拙著ではさらに迫っている。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら