創価学会はなぜ社会から嫌われるのか 戦後社会が育てた巨大教団

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昔の創価学会は、現在とは比べられないほど攻撃的な姿勢を示していた。布教活動は「折伏(しゃくぶく)」と呼ばれ、相手を論破して、無理やり信仰を押し付けるというやり方が取られた。

家に地域の創価学会の会員が幾人も押しかけてきて、延々と折伏が続くようなこともあった。

それは、家庭だけではなく、ほかの宗教や宗派の宗教施設にも及んだ。キリスト教の教会に学会員がやってきて、イエス・キリストが復活するなど非科学的で、キリスト教の信仰は間違っていると議論を吹っかけてきたのである。

それまでの日本の新宗教(明治以後に成立した宗教)は、人が何か不幸や悩みに直面したとき、当人が自分の考え方を変えて、それを介して相手の気持ちも変えようというやり方を取っていた。

ところが創価学会には、そうした面はまったく見られなかった。何か問題が起きても、その解決策は相手を折伏することにあり、自分を反省する様子などみじんも見せなかった。

子どもたちの場合にも、当時の創価学会が密接な関係を持っていた日蓮宗の一派・日蓮正宗が、ほかの宗教や宗派の信仰をいっさい認めないという姿勢を取ったため、創価学会の家庭の子女は、修学旅行に行っても、神社の鳥居さえくぐらなかった。いくら言っても、それは「謗法(ほうぼう)」(間違った信仰)だと言って取り合わない。そうした信仰上のかたくなさも、創価学会が嫌われる原因だった。

もっともそこには、日本人一般の宗教観も影響していた。日本人は、多くが自分は無宗教だと考えているが、神社に行けば鳥居をくぐって参拝し、死ねば仏教式で葬儀を挙げる。そうしたやり方をするのが世間の常識だと考えていて、それに抵抗する人間は偏屈で間違っていると考え、時にはそれを攻撃する。

無宗教を標榜する一般の日本人と創価学会の会員との対立も、その点では、異なる宗教観に基づくものであり、そこでは小さな「宗教戦争」が起こっていたと見ることができる。創価学会の会員が嫌われるような態度を取ったということもあるが、一般の日本人が、一定の信仰を持ちつつ、それに無自覚だったことも、対立を激化することに結び付いた。

増幅された池田氏の悪のイメージ

創価学会が激しい嫌悪の対象になっていた時代において、池田大作という存在は極めて大きかった。

池田氏は、創価学会の第3代会長であり、会長を退いてからは名誉会長の地位にある。

池田氏が創価学会の会長に就任したのは、わずか32歳だった。60年安保の年のことである。

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