さて、車窓風景を楽しむ「こだま」の旅は、三島駅を発車するところだ。東海道新幹線の三島駅は、東京~新大阪間の開業から4年半が経過した1969(昭和44)年4月25日に開業した。
両側に列車が停車する島式ホームが1本あるだけで、上り・下り双方の列車が1本のホームに発着する新幹線駅は、全国でも三島駅が唯一だ。
ホームの南側には、新幹線の車両基地である三島車両所の検修庫がある。元々はこの車両基地が先に建設され、住民から「車庫だけあっても意味がない」と駅設置を求める声があがったことが、新幹線三島駅開業につながった。
三島駅を発車すると、A席側にずらりと並ぶ新幹線の線路が見える。電留線と呼ばれる新幹線車両の車庫だが、新大阪駅近くの鳥飼車両基地などと異なり、日中はここに車両が停まっていることはほとんどない。三島車両所は、主に東京~三島間で運行される「こだま」の一時的な待機場所であり、所属車両、つまりここを正式な寝床とする車両は1両もないからだ。
電留線は、新大阪方面に進むに従い数が少なくなり、やがて線路が2本あるだけの高架線となる。高架線は少しずつ高度を上げ、どこへ行くのだろうと思って見ていると、突然空中でぷつんと途切れてしまう。まるで、列車が空へ向かって飛び立つ発射台のようだ。
「発射台」は何のため?
これは、三島車両所の着発線。先ほどの電留線にいる車両はまっすぐ三島駅のホームに向かうことはできず、必ずいったん駅とは反対方向にある着発線に入り、折り返してホームに向かう。三島駅に到着した列車が車庫に入る場合も、必ず「発射台」を経由する仕組みだ。
発射台が建設されたのは、新幹線三島駅の開業よりも早い1968(昭和43)年10月のこと。輸送計画に合わせて車両基地が駅の西側に拡張されることになり、現在の電留線とともに建設された。
三島駅の西側は狩野川の支流である黄瀬川が流れる谷になっており、新幹線の編成が収まるよう黄瀬川の左岸まで着発線を延ばした結果、地面の方が低くなって高架線になった。それを隣の本線を走る列車から眺めると、あたかも線路が次第に高度を上げて、空中に飛び出すように見えるというわけだ。
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