松下幸之助は、3時間ぶっ続けで叱り続けた 怒り続ける松下を見て沸き上がる感動

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「この仕事できみが正しいと思うことはなんやねん」。問いかけに対してぼそぼそと答える私に、「それがわかっておって、やっておらんということは、どういうことや」とたたみ掛ける。執拗に叱り続ける松下を見ながら、私は心の中で相済まなかった、申し訳なかったと反省しながらも、何もこんなにまで怒ることはないのではないか、という思いも湧いてきた。

たしかに見方によっては松下の言うとおりかもしれない。しかし、仕事には流れというものがある。必ずしも正しいことばかりで仕事が進められるものではないし、やがてきちんと元に戻すつもりだったのだ、というような弁明が、ネオンサインのようについては消え、消えてはつく。

そう弁明したいが、とても言えるような雰囲気ではない。じっと立ち続け、聞き続けているうちにチラリと時計を見ると、すでに1時間が過ぎている。もう終わってもいいのになあ、今晩は食事ができるだろうか、家では用意してくれているだろうかと、口では反省の弁を述べながらも、頭の中では他のことばかりを考えている。

しかし、それを見抜いているように松下の叱責は続く。言葉、内容は先ほどから同じことの繰り返しである。もう黙って聞いているより他にない。

しばらくしてまた時計を盗み見ると、また1時間がたっている。これで2時間も怒られたことになる。その頃になると、怒り続け、叱り続けている松下を見て、だんだん感動してくる。

一生懸命に叱る姿に感動

凄いな、歳は自分の半分の部下に、これほどの情熱をかけて一生懸命に叱ってくれる。注意してくれる。それが個人的な感情、私情にとらわれてではないことがわかってくる。激しい怒りの言葉の奥に温かさ、やさしさが感じられるからである。自分が悪かった、ああいうところは我慢してやらなければいけなかったと、自然に気がついてくる。わかってくる。

3時間ほどたつと、松下からの叱責が心からありがたいと思われてくる。

「わかった、ええわ」。叱り疲れたのか、多少なりとも私が反省したのがわかったのか、呟くようにそう言って、もう遅いから帰れと松下が言う。夜の十時である。

そんなことが、36歳で経営をまかされてからしばらくは、年に4回くらいあった。松下から叱られる風景はこれに限られるわけではないが、一つの例として再現すればそういうことだった。

私は、講演を頼まれてたびたび松下幸之助の話をすることがある。こういう出来事で感動させられたという話をすると、「それでは自分もうちの社員に同じようにやってみよう」と言われることがよくある。だから、これもいそいで付け加えておこう。松下のこの叱り方を単純に模倣してはいけない。「そうか、3時間も叱れば部下は感動するものなのか。自分もやってみよう」などと思わないでいただきたい。そのやり方の、表面的な理解だけで松下になったつもりで振る舞えば、逆に部下から軽蔑されること必定である。

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