亀田高志
前回は、ストレスを感じる自分の心の動きを自覚し、少しずつでも意識的に変えて感情的な反応を解消していく方法を紹介した。しかし、経済不況の出口は見えず、戦後高度成長期に描き、バブル以降も保ってきた将来の青写真が変わっていく様に驚くばかりかもしれない。近い将来、ビジネスパーソンの数が減って、支えてもらわなくてはならない高齢者が増えるのに、人件費の高い日本が国際競争の場で更なる苦境に立つのは間違いない。ストレッサーを上手く調整し、自分のできる工夫を心がけても、これからもっと強くなるであろうストレスによる影響を避けるのは難しいかもしれない。そこで、今までと違う方法として、周囲の助けを借りて受けたストレスを和らげることを今回は考えてみよう。
●素直に愚痴の言える相手はいるだろうか?
米国研究者によって20年以上前に示された職業性ストレスモデルでは、ストレス反応の緩衝要因として上司、同僚、家族からのサポートを挙げている。前回に少し触れたが、感情を揺さぶられた時に、誰かに聞いてもらうことは感情を落ちつかせるのに有効だ。ところが問題はそのような相手がいるかということである。実際は簡単ではないかもしれない。ストレス対処の研修で講師をしているときに愚痴を言える相手がいるかどうかを質問することがある。実際に疎らにしか、手が上がらないことさえある(この場合は、互いに手をあげたかどうかわからないように目をつぶってもらう)。
私が職場で健康管理に従事してきた経験に基づくと、次のような状態ではないかと想像する。
職場の管理職は共に汗を流し、信頼する上司というより、業績主義の浸透で部下のことを評価し、今や賞与や給与を増減させる評価者になってしまった。過去は安泰と思われていた大手企業ですら、リストラをメディアに大々的に報じられながら人減らしを行っている。そんな状態では、評価をする立場の管理職に心を許して、愚痴を話せるケースはもう稀なのかもしれない。自分の将来を左右する可能性のある上司に弱みを見せてはならないという意識が働くからだ。心身の調子を明らかに崩しているのに、上司に相談できない場合も実際にある。
職場の同僚や先輩はどうだろうか。業績評価で順番がつき、経験年数の近い同僚とは決まったパイの中で争わなくてはならない状態かもしれない。雇用の多様化は職場内の格差を増大させる。雇用関係が違う同士は、報酬が違うこともあって、愚痴を言い合うのは難しい場合が多い。また、先輩が後輩の面倒をみる余裕がないし、面倒をみることを損得勘定でみたり、実際にそのことを評価しない職場の雰囲気が広がっている。職場は同僚や先輩後輩が本音で愚痴を言い合える場ではなくなりつつある。
最後の頼みは家族や友人になる。しかし、独身者だけでなく、単身赴任中のビジネスパーソンも多いだろう。電話でつらい状況を打ち明ける相手がいなければ、致し方ない。友人もおそらく忙しく余裕がない場合が多いかもしれない。結婚していても、深夜帰った後に愚痴を聞いてもらうためにもう眠っている配偶者を起こすわけにもいかないだろう。帰宅してもお迎えは犬だけと自嘲気味に話したり、連休では居場所がなくてパチンコにいくしかないと漏らす中高年男性も最近は珍しくない。夫婦であれ、恋人や親子、友人関係でも頼ることができる人は確実に減っているように見える。これは核家族の結果でもあり、生産性の向上を追及するあまり、長時間勤務が常態化したことの影響もあるだろう。
つまり、愚痴を言う相手に事欠く状態なのだ。まして支援してもらうのは実際、難しい時代になっている。
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