メジャーリーグの日本人は選手だけではない 元高校球児が掴んだアメリカンドリーム

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ボールを受ける度にスパーンッ、スパーンッとキャッチャーミットを鳴らしながら、植松は、その時間を存分に楽しんでいた。

そして、心の底から思った。「こんな場所で仕事ができたら最高だな」

植松が米国に渡ったのは、18歳のとき。野球で挫折したのがきっかけだった。小学校3年生で野球を始めた植松は、すぐにピッチャーとキャッチャーという要のポジションを兼任するようになり、中学生までずっと主力選手だった。そして、甲子園を目指して千葉県内の強豪校・西武台千葉高校に進学した。

しかし、同級生だけで部員30名、捕手が7人もいる環境で競争が激しく、日が経つにつれてその道が遠いことを自覚していった。

「レギュラーの選手のほうが体も強かったし、自分が目立てる部分があまりないなと感じていました。レベルが違いましたね」

背中を押した母親のアドバイス

高校3年間、終わってみれば公式戦出場ゼロ。部活を辞めようとは思わなかったが、「野球が面白くなかった。いままで野球をやってきていちばんつらい時期でした」と振り返る。

高校卒業後の進路を考えるとき、植松は悩んだ。学校から推薦を受けて、大学でも野球をやるという選択肢もあったが、高校3年間と同じ状況になるかもしれないという可能性を考えると、あまり気乗りしなかった。

自分は何がしたいのか。

自問自答を繰り返しているうちに、中学まで英語が得意だったことを思い出した。何を勉強したいかと問われれば、興味があるのが英語ぐらいだった。しかし、大学で英語を勉強するのは、現実味がないように思えた。

「高校3年間はスポーツクラスにいたので、学校ではほとんど勉強をしていなくて、高校の英語もわかりませんでした。だから、大学でほかの英語が得意な生徒と机を並べて勉強しても、ついていけないと思ったのです」

野球で努力が報われなかった植松は、高校レベルの学力すら抜け落ちている自分に対して、劣等感を抱くようになっていた。

そんなとき植松の背中を押したのが母親だった。自信を失っている息子に対して「英語を勉強したいなら、アメリカに行ったらどう? その後、日本の大学に編入したかったらしてもいいし」と留学を勧めたのだ。

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