しかし過去20年間、活動的な市民らが数十カ国で政権を倒してきたため、各国政府は逆の方向へと向かい過ぎ、これらの団体や空間に過剰な規制をかけてきている。この過程の中で、当局は民主主義の最も基本的な形態を罪に問うてしまっているのだ。
場合によっては、政府が法に基づかずにこうした行動に出る例さえある。昨年春ブルンジでンクルンジザ大統領が、最長任期は2期と憲法で定められているにも関わらず、3期目の就任を行った。市民は抗議するために街へ繰り出したが、暴力的に鎮圧された。
世界で最も強固な民主的伝統を持つ国でも、締め付けが行われてきている。パリの襲撃事件の後、(テロが計画、準備されていた) フランスとベルギーは、市民の自由を無期限に停止し、一夜にして、少なくとも法律上は警察国家と化してしまった。両国では、デモは禁止されたままだ。礼拝所は閉鎖され、何百人もの人々が拘束され、型破りな意見を述べたことを理由に尋問されている。
このようなやり方は、重い代償を生んでいる。先月開かれた国連の気候変動会議で抗議をする計画を立てた数千人の人々は、靴を現場に残して行かざるを得なかった。それは衝撃的な光景であり、近代市民社会の発祥地である欧州でさえも、恐怖が、いかに開かれた社会や政治的自由を維持するために必要な努力を荒廃させるのかを示した。
テロリズムとグローバル化の時代に、公共の場を規制することや、平和的な政治的異議の表明を守るための単純な方策は存在しない。しかし、2つの原則は明白だ。
公共空間を守るため団結を
1つはこの世界が、人やカネの移動に関しては現状よりも強固な国際的統制を、表現や結社、異議の表明には比較的緩やかな規制を、それぞれ必要としていることだ。各国政府は最近、間違った方向に舵を切っている。しかし2016年には、貿易から移民に至る多様な分野で、修正する数多くのチャンスがある。
2つ目は、公共政策改善のため働いている非営利組織には、良質な商品やサービスの提供を目的とする営利企業と同様の、国際的資金を確保する権利が必要ということだ。その団体が良い商品の生産や雇用創出、より強固な公共政策、より活発な市民活動などを支援するか否かに関わらず、外国からの直接投資は推進されるべきであり、妨げられるべきではない。
方針を転換する責任は、政府だけが負うわけではない。開かれた公共空間を大切にするわれわれ全員が協力して、それを守る政策的枠組や制度を支援しなければならない。今こそ、活動や運動、国をこえて団結する時だ。
公共空間を守る最良の手段は、そこを占拠することである。それがたとえ自分の隣にいる人の運動とは別の運動を擁護することになってもだ。2016年、われわれは共同してこの空間を埋め尽くし、守らなければならない。
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