試練に直面する中国人民元 1914年のドル危機と比べてみる

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1914年7月末にオーストリアがセルビアに対して宣戦布告して第一次世界大戦がはじまった。この際に筆者は安全資産であるドルに資金が流入したのだと思っていたが、実は逆に米国は通貨危機に襲われている。米国のマカドゥー財務長官の圧力によって、8月1日にニューヨーク証券取引所は閉鎖され、閉鎖はその後4か月も続いた。

そのころの米国は対外債務国で、欧州、特に英国が大量の米株を保有していた。戦費調達のために欧州各国は、米企業の株を売って得たドルをポンドに交換しようとするので、ドルには著しい下落圧力がかかった。交換できる金の量から計算すると、1ポンド=4.8665ドルのはずだが、8月末頃には1ポンド=5.05ドルを超えるドル安となった。

金本位制の問題点

当時は金本位制であったため、ドルがポンドに対して大きく下落すると、ドルを金と交換して輸送することで大きな利益を得ることができた。米国からは大量の金が流出し、ドルと金の交換性を維持できなくなる危険が高まった。証券取引所の閉鎖は、海外投資家が株を売却して金を米国から流出させないための手段だった。

もっと深刻なのは、米国がロンドン市場で調達していた資金の返済が、ポンドの調達ができずに返済不能に陥る危険が高まったことだ。特に問題だったのは、米国を代表する都市であるニューヨーク市が発行していたポンド建て債券の償還資金の手当てで、失敗すれば米国の信用が崩壊する恐れがあった。

金本位制のもとでは、金が海外に流出すると自国通貨と金の交換性を維持することが困難になり、金融を引き締めざるを得なくなって国内の流動性不安が起こってしまった。また、1914年の通貨危機が発生した時点では、米国ではまだ連邦準備制度が稼働していなかった。法律が1913年末にできたばかりだった。

現在では主要国で金本位制を採用している国は一つもないし、中国も含めて中央銀行が機能している。蛇足ながら、中央銀行の存在ということが問題となるのは、ユーロ圏全体で中央銀行がひとつしかないギリシャやスペイン、ポルトガルといった欧州の債務危機の場合である。

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