東西ベルリンで起きた「動物園大戦争」の真実 きわめて人間くさい動物園の物語

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1844年8月1日に開園した、ドイツ初、かつ世界最大級のベルリン動物園(写真:Xantana/iStock)

動物園業界には、「動物園人」という言葉があるらしい。動物や動物園のことを心から愛し、常に探究心と誇りを持って一生懸命動物園のために取り組む人のことを指し、時として人よりも動物相手のほうがうまくやっていける人間でもある。

同じ街に、壁を挟んで2つの動物園があった

本書『東西ベルリン動物園大戦争』はこの動物園人たちを主人公とする骨太ノンフィクションだ。舞台は東西に分断されていた時代のドイツ・ベルリン。この都市には、壁を挟んで、2つの動物園が存在していた――西のベルリン動物園と、東のティアパルク。両動物園は、娯楽施設というだけでなく、2つの異なる社会体制のシンボルでもあった。そして興味深いことに、この2つの動物園の園長は、お互い反感を抱き合い、ライバル視していたのだ。

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まずは東側の園長、ハインリヒ・ダーテから紹介しよう。子どものころから故郷で鳥類観察に精を出していた彼は、ライプツィヒ大学で動物学を研究する熱心な動物学者であり、その一方でライプツィヒ動物園にて助手として働き、20年近くかけてライプツィヒ動物園園長代理の地位までのぼりつめた動物一筋の男である。

転機が訪れたのは1954年、首都に新しい動物園をつくるという計画が浮上したときだ。園長代理としてベルリンに差し向けられた43歳のダーテは、候補地の1つであるフリードリヒスフェルデをいたく気に入り、自ら園長となって、翌1955年、新動物園・ティアパルクをオープンさせる。「動物園は専門家のためではなく、入園者のために建設しなければならない」という独自の動物園哲学のもと、大規模な工事を行い、その広さは最終的に西のベルリン動物園の5倍以上となった。

さてベルリン動物園であるが、こちらはティアパルクとは違い、1844年に創設された、ドイツで最も歴史ある動物園で、戦火で焼けてしまうまでは、1400種4000頭を展示する、世界で最も多様な種を誇る動物園でもあった。

再建後のベルリン動物園で、1956年に園長の座に就いたのが、ハインツ=ゲオルク・クレースだ。獣医である彼は30歳前にしてドイツ西部のオスナブリュック動物園園長となっていた新進気鋭の若者で、そこでの手腕が評価されたのであった。

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